大判例

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大阪高等裁判所 昭和59年(ネ)2510号 判決

第二五一〇号事件控訴人(第一五〇二号事件被控訴人)

齋木福右衛門

外二四名

右二五名訴訟代理人弁護士

藤原精吾

外六名

第一五〇二号事件被控訴人

亡加川留吉訴訟承継人

米田勝博

第一五〇二号事件控訴人(第二五一〇号事件被控訴人)

三菱重工業株式会社

右代表者代表取締役

飯田庸太郎

右訴訟代理人弁護士

山田作之助

外六名

(以下、昭和五九年(ネ)第一五〇二号事件被控訴人、同年(ネ)第二五一〇号事件控訴人を「一審原告」と表示し、昭和五九年(ネ)第一五〇二号事件控訴人、同年(ネ)第二五一〇号事件被控訴人を「一審被告」と表示する。)

主文

一  一審原告齋木福右衛門、同佐々木萬亀子、同田野米三郎、同前田利次の本件控訴及び一審被告の右一審原告らに対する控訴をいずれも棄却する。

二1  一審原告山下せつ子、同中野眞一、同久川玉江、同渡恵子の本件控訴を棄却する。

2  一審被告の控訴に基づき、原判決中右一審原告らに関する一審被告敗訴部分を取り消し、右一審原告らの請求を棄却する。

三  一審原告村上忠義、同圖師精一郎、同森久子、同森由夫、同牧野千鶴子、同古庄二三子、同森哲也、同萩原邦央、同太田一郎の本件控訴を棄却する。

四1  一審原告田中太重、同横矢シマノ、同高橋一雄、同井村正一、同西垣冨美子、同南日輝の本件控訴を棄却する。

2  一審被告の控訴に基づき、原判決中右一審原告らに関する部分を次のとおり変更する。

(一)  一審被告は、一審原告田中太重に対し金八八万円、同横矢シマノに対し金一一〇万円、同高橋一雄に対し金五五万円、同井村正一に対し金一一〇万円、同西垣冨美子に対し金一三二万円及びこれらに対する昭和五二年一一月二三日から完済まで年五分の割合による金員、同南日輝に対し金一六五万円及びこれに対する昭和五三年八月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  右一審原告らのその余の請求を棄却する。

五1  一審被告の一審原告藤本忠美、同松田次郎作に対する控訴を棄却する。

2  右一審原告らの控訴に基づき、原判決中右一審原告らに関する部分を次のとおり変更する。

(一)  一審被告は、一審原告藤本忠美に対し金一三二万円、同松田次郎作に対し金二二〇万円及びこれらに対する昭和五二年一一月二三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  右一審原告らのその余の請求を棄却する。

六1  原判決中一審原告米田勝博に関する一審被告敗訴部分を取り消す。

2  右一審原告の請求を棄却する。

七  訴訟費用は、一審原告齋木福右衛門、同佐々木萬亀子、同田野米三郎、同前田利次と一審被告との間においては控訴費用を各自の負担とし、一審原告村上忠義、同圖師精一郎、同森久子、同森由夫、同牧野千鶴子、同古庄二三子、同森哲也、同萩原邦央、同太田一郎と一審被告との間においては控訴費用を右一審原告らの負担とし、一審原告山下せつ子、同中野眞一、同久川玉江、同渡恵子、同米田勝博と一審被告との間においては訴訟費用を一、二審とも右一審原告らの負担とし、一審原告田中太重、同横矢シマノ、同高橋一雄、同井村正一、同西垣冨美子、同南日輝、同藤本忠美、同松田次郎作と一審被告との間においては訴訟費用を一、二審を通じ五分し、その一を一審被告の、その余を右一審原告らの負担とする。

八  この判決第五項2(一)は仮に執行することができる。

事実

第一章  当事者の求めた裁判

第一  昭和五九年(ネ)第一五〇二号事件につき

一  一審被告

1 原判決中、一審被告敗訴の部分を取消す。

2 一審原告ら(但し、一審原告村上忠義、同圖師精一郎、同森久子、同森由夫、同牧野千鶴子、同古庄二三子、同森哲也、同萩原邦央、同太田一郎を除く。)の請求(但し、当審において請求の趣旨を第二、一、2のとおりの金員の支払を求める趣旨に一部訂正したもの)をいずれも棄却する。

3 訴訟費用は一、二審とも右一審原告らの負担とする。

二  右一審原告ら

本件控訴を棄却する。

第二  昭和五九年(ネ)第二五一〇号事件につき

一  一審原告ら(但し、同米田勝博を除く。)

1 原判決中、右一審原告らに関する部分を次のとおり変更する。

2 一審被告は右一審原告らに対し、それぞれ、別紙請求金額の表示記載のとおりの金員及びこれらに対する一審原告番号1ないし14の一審原告らについては昭和五二年一一月二三日から、その余の一審原告らについては昭和五三年八月一五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は一、二審とも一審被告の負担とする。

4 仮執行の宣言

二  一審被告

1 本件控訴を棄却する。

2 仮執行免脱の宣言。

〈以下、省略〉

理由

(書証の成立等について)〈省略〉

第一章総論(各一審原告に共通する事項)

第一騒音性難聴について

原判決六三五枚目裏一一行目〈編注・本誌五三三号八八頁第四段九行目〉から同六四五枚目表一〇行目〈前同九一頁第四段二四行目〉までを引用する。但し、次のとおり訂正する。

一同六三六枚目表〈中略〉、同八行目〈前同八八頁第四段一三行目〉の「意義」の次に「、病理」を加え、同裏八行目〈前同八九頁第一段四行目〉の「内耳」を「中耳」に、同一〇行目〈前同頁同段七行目〉の「中耳」を「内耳」に、同六三八枚目表一二行目〈前同頁第三段一二、一三行目〉の「いわゆるC5ディップ」を「オージオグラム」の上で音階のC5(四〇九六Hzに等しい。)にほぼ相当する周波数のところで深い谷を形成するところから「C5ディップ」と呼ばれる。」にそれぞれ改め、同裏四行目〈前同頁同段二〇、二一行目〉の「曝露によって」の次に「急速に進行して」を、同六三九枚目裏九行目〈前同九〇頁第一段五行目〉の末尾に続けて「また、音の大きさが同等である場合は、恒常持続騒音よりも衝撃間欠騒音の方が、騒音性難聴の発生率及びその進展度が著明である。」をそれぞれ加える。

二同六四〇枚目裏〈前同頁第一、二段〉の別表備考欄中、各「Lcq」をいずれも「Leq」に、「open clased」を「open space」に、「旧指数」を「旧施設」に、「新指数」を「新施設」に、「100dBc」を「100dBC」に、「osIIA」を「OSIIA」にそれぞれ改め、同別表の下方欄外に(注)として「アメリカの70dBAのみ24時間曝露に対する騒音レベル」を加え、同六四一枚目裏一行目〈前同頁第三段七行目〉の「八時間」の次に「以内」を、同四行目〈前同頁同段一二行目〉の「三〇〇〇ヘルツ」の次に「以上」を、同七行目〈前同頁同段一七行目〉の「九〇ホン」の前に「おおむね」を、同行の「相当する」の次に「が、原則として騒音の周波数分析を行う必要がある」をそれぞれ加える。

三同六四二枚目表一〇行目〈前同頁第四段一二、一三行目〉の「ハンドブック・」の次に「職業性難聴」」を、同裏末行の「証人」の前に「原審」をそれぞれ加え、同六四三枚目表八行目〈前同九一頁第一段二四行目〉の「示す」を「呈する」に改め、同裏九行目の「第一八七号証」の次に「の二、三」を、同行の「川口洋志」の次に「ほか」をそれぞれ加え、同行、同一〇行目〈前同頁第二段一八、一九行目〉の「四〇〇ヘルツの損失値」を「四〇〇〇ヘルツの聴力損失値」に改め、同六四四枚目表四行目の「第一八七号証の」の次に「四、」を加え、同六、七行目〈前同頁第三段四行目〉の「継年的に」を「経年的に」に改め、〈中略〉、同六四五枚目表三行目〈前同頁第四段一一行目〉の「低下するが、」を「低下するもので、個体差があるとはいえ、その低下は特に高音部において既に二〇歳台の末又は三〇歳台から始まっており、五〇歳前後まではきわめて軽度で推移するが、」に、同四行目〈前同頁同段一二行目〉の「やや」を「急速に」にそれぞれ改め、同行〈前同頁同段一二、一三行目〉の「大きくなってゆく。」の次に「右のいわゆる生理的聴力損失そのものが老人性難聴である。」を、同五行目〈前同頁同段一三、一四行目〉の「高音障害漸傾型」の前に「特に高音部において聴力損失の大きい」をそれぞれ加える。

第二因果関係について

原判決六四五枚目表一二行目〈前同頁同段二五行目〉から同六七八枚目裏末行〈前同一〇三頁第二段二二行目〉までを引用する。但し、次のとおり訂正する。

一同六四五枚目表一二行目〈前同九一頁第四段二六行目〉の「原告ら」の次に「(死亡した一審原告らについては承継前の一審原告ら、但し一審原告渡はまについては渡利男を指す。)」を、同裏四行目の「証人」の前に「原審」をそれぞれ加え、同八行目〈前同九二頁第一段五行目〉の「関する」を「対する」に、同六四六枚目表〈前同頁第一、二段〉の表中、職業別欄の「器機」を「器械」に、同六四七枚目表四行目〈前同頁第二段一行目〉の「0.57パーセント」を「40.57パーセント」に、同九行目〈前同頁同段九行目〉の「労働者」を「労働省」に、同六四九枚目表から同六五〇枚目裏にかけて〈前同九三頁第一ないし四段〉の表中、作業番号5の欄の「インバクトレンチ」を「インパクトレンチ」に、「24.99」を「25.02」に、作業番号9の欄の「8.90」を「9.50」に、作業番号13の欄の「2.70」を「2.71」に、作業番号27の欄の「7.42」を「7.45」に、同六五二枚目表〈前同九四頁第一、二段〉の表中、勤続年数別20〜24年の欄の「128」を「127」にそれぞれ改め、〈中略〉、同六五五枚目表五行目〈前同九五頁第一段一三行目〉の「右左」を「左右」に、〈中略〉、それぞれ改める。

二同六五七枚目表三行目、同裏三行目、同一〇行目、同六五八枚目表九行目、同裏一二行目、同六五九枚目表一行目、同六六〇枚目表六行目、同裏九行目、同六六二枚目裏六行目の「第一〇号証」の次にいずれも「(同第二六号証)」をそれぞれ加え、同六五七枚目表四行目〈前同頁第三段三一行目〉の「九七」を「九八」に改め、同五行目、同裏六行目、同一一行目、同六五八枚目裏四行目、同末行、同六六〇枚目表五行目をいずれも削り、同六五七枚目裏一行目、同末行、同六五九枚目表二行目の各「甲第二〇号証」をいずれも「甲第二〇号証の一」に、同六五八枚目表末行、同六五九枚目表八行目、同裏二行目、同一〇行目、同六六〇枚目表二行目の各「甲第二〇号証」をいずれも「甲第二〇号証の二」に、同六五八枚目裏一一行目〈前同九六頁第一段二〇行目〉の「一一〇〜一一八ホン」を「一一八〜一二二ホン」に、同六五九枚目裏七行目〈前同頁第二段二二行目〉の「八五」を「八二」に、同一一行目〈前同頁同段二八行目〉の「鋳造ハツリ」を「鋳物ハツリ」にそれぞれ改め、同一一行目の次に改行のうえ「甲第一〇号証(同二六号証)九二〜九六ホン(鋳物ハツリ)」を加え、同六六三枚目表九行目〈前同九九頁第一段一七行目〉の「堅込」を「型込」に改め、同裏四行目〈前同頁同段二五行目〉の「造船所」の前に「昭和三二年一月の騒音測定に基づいて施行した三菱広島」を加え、同五行目〈前同頁同段二七行目〉の「たとえば」を削り、同六行目〈前同頁同段三〇行目〉の「認みられる」を「認められる」に、同六六六枚目表二行目〈前同頁第二段一行目〉の「造船工作課」を「造船工務課」に、同九行目の「第四四」の次に「号証の一、二」を加え、同裏七行目〈前同頁同段末行〉の「89.0ホン」を「89.8ホン」に改め、同一〇行目〈前同頁第三段四行目〉の「造船工作部」の前に「従業員に対し八五ホン以上の作業場所での耳栓使用の徹底を呼び掛けた教育資料の中で、」を加える。

三同六六七枚目裏一〇行目〈前同頁第四段一一行目〉の「労働者災害補償保険法」の次に「(以下「労災保険法」という。)」を加え、同六六八枚目表七行目〈前同頁同段二八行目〉の「が行われた」を「に相当する給付が行われるべきものである」に、同九行目〈前同頁同段三一、三二行目〉の「労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)」を「労災保険法」にそれぞれ改め、同一〇行目〈前同頁同段末行〉の「疾病」の次に「・障害」を、同裏四行目〈前同一〇〇頁第一段一二行目〉の「更に、」の次に「乙第五五号証の一ないし三、第六七号証の一ないし三によると、」を、同六七一枚目表末行〈前同一〇一頁第一段六行目〉の冒頭に「乙第六一号証の一ないし五によると、」をそれぞれ加え、同六七六枚目表四行目〈前同一〇二頁第二段二八、二九行目〉の「等級の」を「等級を」に改め、同六七七枚目裏九行目の「証人」の前に「原審」を加え、同六七八枚目表六行目〈前同一〇三頁第一段二〇行目〉の「少なくも」を「少なくとも」に改める。

第三一審被告の責任について

原判決六七九枚目表二行目〈前同頁第二段二四行目〉から同七〇四枚目裏一行目〈前同一一一頁第三段九行目〉までを引用する。但し、次のとおり訂正する。

一同六七九枚目表三行目〈前同一〇三頁第二段二五行目〉から同裏八行目〈前同頁第三段二四行目〉までを左のとおり改める。

「(一) 安全配慮義務

1 雇用契約は、労働者の労務提供と使用者の報酬支払をその基本内容とする双務有償契約であるが、通常の場合、労働者は、使用者の指定した場所に配置され、使用者の供給する設備、器具等を用いて労務の提供を行うものであるから、使用者は、右の報酬支払義務にとどまらず、労働者が労務提供のため設置する場所、設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において、労働者の生命、身体、健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務(以下「安全配慮義務」という。)を負っているものと解するのが相当である。右のような安全配慮義務は、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務として一般的に認められるべきものである。もとより、使用者の右の安全配慮義務の具体的内容は、労働者の職種、労務内容、労務提供場所等安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるべきものであることはいうまでもない(最高裁判所第三小法廷昭和五九年四月一〇日判決・民集三八巻六号五五七頁、最高裁判所第三小法廷昭和五〇年二月二五日判決・民集二九巻二号一四三頁参照)。

したがって、使用者と労働者の雇用契約関係が相当長期間に及び、その間に技術革新が進み、医学が進歩発展を遂げ、また経済的、社会的情勢が大きく変転したような場合には、安全配慮義務の具体的内容も、その時代の技術水準、医学的知見、経済的、社会的情勢に応じて変容することがあるものというべきである。

(二) 下請関係と安全配慮義務

ところで、前記のとおり安全配慮義務が、ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において、当該法律関係の付随義務として信義則上、一般的に認められるべきものである点にかんがみると、下請企業(会社又は個人)と元請企業(会社又は個人)間の請負契約に基づき、下請企業の労働者(以下「下請労働者」という。)が、いわゆる社外工として、下請企業を通じて元請企業の指定した場所に配置され、元請企業の供給する設備、器具等を用いて又は元請企業の指示のもとに労務の提供を行う場合には、下請労働者と元請企業は、直接の雇用契約関係にはないが、元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇用契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったものと解することができ、これを実質的にみても、元請企業は作業場所・設備・器具等の支配管理又は作業上の指示を通して、物的環境、あるいは作業行動又は作業内容上から来る下請労働者に対する労働災害ないし職業病発生の危険を予見し、右発生の結果を回避することが可能であり、かつ、信義則上、当該危険を予見し、結果を回避すべきことが要請されてしかるべきであると考えられるから、元請企業は、下請労働者が当該労務を提供する過程において、前記安全配慮義務を負うに至るものと解するのが相当である。そして、この理は、元請企業と孫請企業の労働者との関係においても当てはまるものというべきである。」

二〈中略〉、同六八〇枚目表七行目〈前同一〇三頁第三段二九、三〇行目〉の「三神合同、藤原船舶、宮家興産」を「三神合同(株)(但し、同社が昭和三二年一〇月に設立されるまでは金川造船、宇津原鉄工所、野田浜鉄工所及び日出工業がそれぞれ下請負をしていたが、同月右の四社が一審被告神戸造船所構内における請負工事業務及び同業務関連の従業員の一切を継承する新会社として三神合同(株)を設立した。なお、金川造船は昭和七年一月創立、昭和一九年四月会社設立)、藤原船舶興業(株)(昭和二三年創業、同三七年設立)、(株)宮家組(大正九年三月創業、昭和三二年二月会社設立、昭和三八年六月宮家興産(株)に商号変更)」に、同八行目〈前同頁同段三〇、三一行目〉の「東亜外業、三陽船舶」を「三協工業(株)、三陽船舶(昭和三五年ころ設立、同四〇年に三神合同傘下のグループに入り、その下請をするようになった。)」に、同裏三行目〈前同頁第四段一二行目〉の「工場建物・」を「工場建物はもちろん」にそれぞれ改め、同四行目〈前同頁同段一三行目〉の「工具」の次に「(但し、ごく一部の例外は除く。)」を加え、同七行目〈前同頁同段一八行目〉の「岡本八悦」を「岡本八、悦」に、同八行目〈前同頁同段二〇、二一行目〉の「昭和四五年」から同九行目〈前同頁同段二二行目〉の「直ちに」までを「昭和四五年四月三〇日一審被告を退職後、同年八月二五日」に、同一一行目〈前同頁同段二四、二五行目〉の「SA」を「SA棟」にそれぞれ改める。

三同六八一枚目表八行目〈前同一〇四頁第一段八行目〉の「下請工が一応社外工と」を「下請工・社外工が本工と」に、同裏四行目〈前同頁同段二三行目〉の「一般」を「通常の形態」にそれぞれ改め、同五行目〈前同頁同段二五行目〉の「被告」の前に「ごく一部の例外を除き、」を、同六八二枚目表八行目〈前同頁第二段一九行目〉の「というべきである」の次に「(なお、各論において個別的に補足する。)」を、同六八三枚目表八行目〈前同頁第三段三二行目〉の「所員」の次に「森岡三生」を、同一二行目〈前同頁第四段五行目〉の冒頭に「「」をそれぞれ加え、同裏八行目〈前同頁同段二〇行目〉の「除法」を「除去」に改め、同六八四枚目裏五行目〈前同一〇五頁第一段二九行目〉の末尾に「」」を、同六行目〈前同頁同段三〇行目〉の「また、」の次に「甲第二八号証、乙第二一二号証の二七によると、」をそれぞれ加え、同行の「労働省・」を「労働省労働基準局安全衛生部編にかかる」に改め、同行の「しおり」の次に「(昭和五三年版)」を、同六八六枚目表一〇行目〈前同頁第四段五行目〉の末尾に「」」をそれぞれ加え、同一一行目〈前同頁同段六行目〉の冒頭から同裏二行目〈前同頁同段一三行目〉の末尾までを左のとおり改める。

「3 騒音性難聴の研究調査及びその防止対策の変遷

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(1) 戦前

我が国において騒音性難聴が注目され始めたのは大正の初めころからで、大正二年に軍医が徴兵検査の結果、約四〇%にものぼる難聴者を発見し、その原因が騒音であると分析していたことは前記認定のとおりであるが、当時の聴力検査方法は、二メートルの距離をおいて被検者を開眼直立させ、一耳は示指を湿て密栓し、一耳を検者の方に向け、検者は囁語で数字又は地名を読んで復唱させるという簡単なものであった。また、同年に開かれた大日本耳鼻咽喉科第一七回総会では製缶職工の聴力障害についての報告がなされている。

昭和初期に入ると、一部の研究者により、試作の聴力計、舶来のオージオメーターあるいは騒音計を用いて聴力検査、騒音測定も行われるようになり、騒音性難聴の予防対策についての提言もみられるようになった。

例えば、昭和五年に倉敷労働科学研究所の田辺秀穂は、紡績婦人労働者の聴力障害の研究を行い、その中で耳栓としての綿栓の効果を調べ、これにのみ多くを期待することはできないが、綿栓挿入は休憩時の聴力の回復を促進し、作業による聴力減弱を幾分軽減し、多少聴力保護の効果があることを認めている。また、昭和一〇年に門司鉄道病院耳鼻咽喉科の林豊吉は、門司鉄道局小倉工場の製缶職場の労働者の聴力検査の結果、聴器を一定期間騒音から遠ざけることが聴力障害の防止上大きな効果があること、工場内に防音装置を施すこと(例えば工場内を広闊にし騒音の反響を避け地上の振動を軽減する装置を施すこと)が肝要であり、従来は綿栓を用いているが防音効果は未だ僅微にすぎない旨報告している。さらに昭和一三年に鯉沼茆吾は、その著作「職業病と工業中毒」の中で、騒音性難聴の予防として、機械設備、建築(床・壁)、作業方法等の改善、防音装置等により騒音の減弱をはかり、作業者は耳栓を用いて作業することを指摘している。

また、昭和一〇年一一月には第八回日本産業衛生協会総会が開かれ、工場における騒音と聴力障害についての報告と討議がなされている。

しかし、当時は、一般的には事業者のみならず労働者の間においても、「耳が遠くなって一人前」という職人的な古い考え方が強い時代であり、ことに造船所、鉱山などの騒音職場においてさえまだ聴力障害の実態調査が試みられていない。騒音性難聴の防止対策としても、作業者が自衛手段として綿栓を用いる程度であり、その他の対策は本格的に行われていなかったのが実情であった。

(2) 戦後

戦後になると、労働者の健康及び災害補償の見地から工場騒音が問題化し、労働衛生が重視され、職業病への関心が高まるとともに、騒音測定・聴力検査の方法の研究が行われ、その技術も急速に進歩した。聴力検査にはオージオメーターを用いる方法が主流となり、自動車工業・機械工業等各種の産業界にわたって活発に実態調査やその報告が行われるに至ったが、中でも昭和二六年〜二七年に日本造船工業会と労働省が協力して八造船所の一五職種に及ぶ約二〇〇〇人を対象に行った大規模な前記実態調査は、当時としては画期的な出来事であった。このような実態調査と並んで、一方では防音保護具についての開発研究も進められた。

騒音性難聴の防止対策については、根本的方策として、機械工具の改良、作業方法の改善、騒音作業の遮断、隔離などにより、騒音を抑制、減少させることが早くから指摘された。しかし、右の対策は、いずれも機械、建築その他工学関係の技術問題が大きな要素となっているため、技術上の困難、限界があるばかりでなく、経済的理由、騒音処理に明るい専門技術者の僅少、具体的な対策の研究の立ち遅れなどから、現実的な実施が困難な場合が多く、このため実際の防止対策としては、防音用耳栓を初めとする衛生面での対策に頼る側面が強かった。

なお、右の騒音抑制の施策として、例えば事業所に騒音防止対策委員会を設け、委員として経理・技術・安全・衛生等の各部門が参加し、相互協力して行うのがよいとの指摘がなされていた。

衛生面の対策においては、昭和二七年に指示騒音計の日本工業規格(JIS規格)が制定され、以後、指示騒音計を用いた騒音測定が多くの事業場に急速に普及していった。また、聴力検査については、国産オージオメーターの品質が改善され、徐々に普及をみた。

昭和二九年七月には、労働省内に設けられた労災審議会職業性難聴研究専門委員会が報告の中で、難聴予防のため年一回聴力検査を行うことを提言している。聴力検査により、騒音に対する高感受性者を発見し、配置転換などにより騒音職場から離脱させることは、衛生管理の大きな目標とされていたが、例えば日本国有鉄道では、昭和三四年から管理基準を設け、一定レベル以上の聴力損失に至った者を配置転換させる方策をとり、一定の効果をあげている。さらに、防音用耳栓については、次に記すように、昭和二六年に恩地式耳栓が開発されたのを皮切りに、多くの耳栓が開発され、昭和三〇年には耳栓のJIS規格が定められた。

以上のように、騒音性難聴防止対策のうち、衛生管理面での諸施策は、昭和二〇年代から三〇年代にかけて大幅に発展したものということができる。

もっとも、労働省が毎年発行している全国労働安全衛生週間のしおり(労働衛生のしおり)では、昭和五三年版に初めて前掲のような騒音性難聴の一般的な予防対策が記載されている。

(3) 耳栓について

戦前又は戦後初期においては、防音に最も有効で、しかも安価に製作される防音保護具として、綿のほか、ゴム・粘土・蝋などを材質とする防音用耳栓が考案され、中には市販されているものもあった。しかし、後三者は防音効果は高いものの、異物感や疼痛が強く、長時間使用すると皮膚を刺激して炎症、ただれを起こすことが多く、しかも話声音まで遮断してしまうので作業上不便が多いなど欠点が多かったため、綿や紙を丸めたものが広く利用されたが、もとより遮音効果はわずかしかなかった。

昭和二〇年代後半に入ると、昭和二六年高音域の有害な音響成分をできるだけ減衰し、話声を通過するプラスチック製の恩地式耳栓が開発されたのを皮切りに、その形や材質の点で各種のすぐれた耳栓が開発され実用化された。」

四同六八六枚目裏二行目〈前同一〇五頁第四段一三行目〉(前記付加した部分)の次に、同六九七枚目表一〇行目〈前同一〇九頁第二段一三行目〉の冒頭から同六九八枚目裏五行目〈前同頁第四段五行目〉の「表」の末尾まで(但し、同六九八枚目表一〇行目〈前同頁第三段一七、一八行目〉の「被告神戸造船所」から同一一行目〈前同頁同段一九行目〉の「支給したが、」までを削る。)を移し、その次に改行のうえ左のとおり加える。

「 しかし、JIS規格に合格するような耳栓であっても、人間の外耳道の形状は千差万別であり、大きさにも個人差があるため、耳に気密に接着せず、十分な遮音効果が得られない場合がある。のみならず、作業していると直ぐにゆるみ、しばしば外れるとか、耳に適合しないために疼痛や異物感・不快感があって長時間の使用に耐えられない、さらには話声が聞き取りにくい、ひもがすぐに切れ無くしてしまうなどの問題点も完全には解消されていなかった。このため、耳栓を常時密着した形で装着し続けることは、労働者に相当精神的苦痛をもたらすものであり、他方では職場の中に「耳が遠くなって一人前」であり、耳栓などを着けるのは恥であるとの風潮も根強かったことから、耳栓着用の慣行はなかなか職場に定着するには至らなかったのが実情であった。

なお、昭和五九年三月に報告された某製管工場における耳栓及びピースキーパーと呼ばれる保護具の六か月にわたる使用実験結果によれば、右各保護具の使用に対する労働者(三三名)の反応は、別表三のとおりである(この結果からも、耳栓の常時着用の困難性が看取できる。)。

4  以上を総合して検討すると、騒音職場における事業者等のその被用者・下請工に対する安全配慮義務の内容としては、一審被告において、前記2のイからホに掲げた騒音性難聴予防対策を、問題とされる時代における技術水準、医学的知見、経済的、社会的情勢に応じて可能な範囲で最善の手段方法をもって実施すべきであったものというべきである。」

五同六八六枚目裏四行目〈前同一〇五頁第四段一六行目〉の次に改行のうえ「1 環境改善面における一審被告の対策について」を加え、同五行目〈前同頁同段一七行目〉の「1」を「(1)」に改め、同六行目〈前同頁同段一九行目〉の「(1)」を削り、〈中略〉、同六八七枚目表五行目〈前同頁同段末行ないし前同一〇六頁第一段一行目〉の「設立された造船協会(現日本造船学会)」を「明治三〇年に船舶工学に関する研究及び技術開発、情報交換を目的として日本造船協会(昭和四二年社団法人日本造船学会と改称される。)が設立され、これ」にそれぞれ改め、同八行目〈前同一〇六頁第一段六行目〉の「造船技術は」の次に、「、戦争のため一時世界の水準からかなりの立ち遅れを喫したものの、戦後外国の先進技術の吸収消化と新しい技術開発への努力によって」を加える。

六同六八八枚目表九行目〈前同頁第二段一五行目〉の「昭和三一年に」を「昭和三〇年に日立造船堺工場が」に、同一〇行目〈前同頁同段一八行目〉の「導入し」を「導入したのに続いて、昭和三一年に右切断機を導入し」に、同裏一二行目〈前同頁第三段一一行目〉の「甲第一三一号証の一」を「甲第一三〇号証の一」にそれぞれ改め、同六八九枚目表四行目〈前同頁同段一九、二〇行目〉の「EPM」の前に「他社に先駆けて」を加え、同一〇行目〈前同頁同段二九、三〇行目〉の「NCガス折断機」を「NCガス切断機」に改め、同裏五行目〈前同頁第四段一一行目〉の「チッピング・ハンマー」の次に「、通称鉄砲」を加え、同六九〇枚目表四行目〈前同頁同段末行〉の「国産の」を「前年初めて国産化された」に改め、同裏一〇行目〈前同一〇七頁第一段三一、三二行目〉の「仕上げ工程においても、」の次に「昭和二九年に石川島播磨重工により考案発明された」をそれぞれ加え、同一二行目〈前同頁第二段一行目〉の「利用する方法)が」を「利用して鋼材を曲げ仕上げる方法)が新しく」に改め、同六九一枚目表一行目〈前同頁同段五行目〉の「六〇〇トン」の次に「水圧」を、同裏一一行目〈前同頁第三段一二、一三行目〉の「昭和二九年」の次に「ころ」をそれぞれ加える。

七同六九二枚目裏三行目〈前同頁第四段一〇行目〉の冒頭に「戦後我が国の造船界では溶接技術に対する研究熱が高まり、」を加え、同九行目〈前同頁同段二一行目〉から同六九三枚目表三行目〈前同一〇八頁第一段二行目〉の末尾まで(但し、同一行目〈前同一〇七頁第四段三一行目〉の「なお」の前に「(」を加え、同三行目〈前同一〇八頁第一段一行目〉の「八五〜八六ホン」を「八二〜八六ホン」に改める。)を同一一行目〈前同頁同段一六行目〉の次に移し、同九行目〈前同頁同段一二行目〉の「組み立て、」の次に「でき上がったブロックに」を加え、同一〇行目〈前同頁同段一三行目〉の「各部品」を「各ブロック」に、同行〈前同頁同段一四行目〉から同一一行目〈前同頁同段一五行目〉にかけての「工程になったため、作業は分散し」を「工法(いわゆるブロック建造方式)が本格的に採用されるようになった。このため、作業は分散し、その大半が船台から屋内作業場に移り」にそれぞれ改め、同一一行目〈前同頁同段一六行目〉の末尾に続けて「我が国造船界においてブロック建造方式への転換が始まったのは昭和二四〜二五年ころ以降であるが、昭和三〇年ころまでには右建造方式の体制を確立することができたとみられる。」を加え、同裏一行目〈前同頁同段二一行目〉の次に改行のうえ左のとおり加える。

「このように、鋲接から溶接への工法転換は、手数のかかった従来の鋲接作業を省力化、合理化し、接合(組立)の効率化を図ったにとどまらず、いわゆるブロック建造方式という新しい造船工法を産みだし、作業の大半が船台から屋内作業場に移行したことに伴って、製造される船舶の品質・精度があがり、自動溶接機のような最新の近代的な機器を駆使することが容易になって、造船技術の画期的な革新をもたらすこととなった。

その結果、高所での危険な鋲接作業がなくなり作業の安全化に役立ったばかりでなく、強大な騒音作業である鉸鋲(カシメ)や填隙(コーキング)が姿を消し、また、船台における密度の高い集中的な作業の分散が行われたことにより、造船所における騒音の軽減化に大いに貢献した。

しかし、一方では、ブロック建造方式の問題点も挙げられ、その打開策として、機械力の活用による工作精度の向上、綿密な工程計画の樹立、運搬力増強のための大容量のクレーンの設置、広大な地上組立場の確保など、極めて広範囲な検討も必要とされるに至った。」

八同六九三枚目裏末行〈前同頁第二段八行目〉から同六九四枚目表一行目〈前同頁同段九行目〉にかけての「昭和四〇年前後には片面自動溶接法が導入され」を「昭和三七、八年ころ三菱造船の長崎造船所で数少ない日本の開発技術の一つである片面自動溶接法が、その後昭和三九年には神戸製鋼所で現在主流になっているフラックス銅バッキング法(FCB法)がそれぞれ開発、実用化され、」を加え、同一〇行目〈前同頁同段二三行目〉の「片面溶接法」から同一一行目〈前同頁同段二五行目〉の「発展させ、」までを削り、同行〈前同頁同段二五、二六行目〉の「昭和四一年には」の次に「片面自動溶接法を導入し、」を、同裏末行〈前同頁第三段二〇行目〉の次に改行のうえ左のとおりそれぞれ加える。

「まず、罫書きの面ではショット材の使用、さらにEPMの開発・実用化によってポンチングによる騒音が軽減、消失するに至った。」

九同六九五枚目表一行目〈前同頁同段二一行目〉の「まず」を「次に」に改め、同六行目〈前同頁同段二九行目〉の「次に」を「また」に改め、同裏六行目〈前同頁第四段一九行目〉の次に改行のうえ左のとおり加える。

「他方、NCガス切断機や自動溶接機など自動機器の開発・実用化は、作業者が騒音源から離れて作業することを可能ならしめ、騒音曝露の影響を少なくするのに役立った。」

一〇同六九五枚目裏一〇行目〈前同頁同段二七行目〉の次に改行のうえ左のとおり加える。

「(3) 遮音・吸音の措置

〈証拠〉によれば、一般的に、遮音・吸音の措置は、周辺から来る環境音の防音には効果があるが、作業者自体が発する作業音の防音には役に立たず、したがって、造船作業のように環境音よりも作業音の方が問題である場合には本来有効適切な防音対策とはなり難いこと、環境音の遮音の措置に限ってみても、造船所においては、天井走行クレーンによる運搬を必要とする造船作業の性質上、棟と棟との間に縦方向に隔壁を設ける方法に制約されるが、建屋の規模が極めて大きく、距離による減衰を考慮に入れると、さして防音効果があるとは考えられないこと、さりとて作業者の周囲をついたてや隔壁で囲うことは、上方からの騒音防止には役立たず、上部をも囲うことは照明・排気・排煙等の面で技術的に困難を伴うだけでなく、かえって作業音が内部に籠もり作業者に苦痛を与え、クレーンマンの周囲への見通しを悪くし、突発事故に対する対応処理がうまくできず、さらに電気系統への危険があるなど、技術面、衛生面、安全面において種々問題があること、また、船台や船台上に隔壁を設けることは、クレーンの移動を伴う造船作業上、不可能か著しく困難であり、現実的、実用的な方法とは考えられないこと、一方、建屋内に吸音板を設置することは、建屋が大規模で、しかも開口部が大きく多数ある関係上、ほとんど防音の効果が得られないこと、以上のような難点から、日本国内はもちろん世界的にみても全面的な防音対策として遮音板・吸音板を設置している造船所は見当たらないこと、一審被告神戸造船所においても、各工場、作業場の各工程ごとに隔壁・遮音板等を設置することは技術上の困難さを伴うことから、それらの措置はとられていないこと、しかし、技術上の難点のない場合には、例えば、ショットブラスト運転室への隔壁の設置、マイバッハエンジン試運転場の設置等の措置をとっていることが認められる。

(4) 以上認定したところによれば、一審被告は、最先端の新技術を逸早く導入し、あるいは自ら開発して、積極的に工法の改善に努めてきたが、その改善は、もっぱら技術革新により建造工程、工期を大幅に節減し、作業能率を向上させ、ひいては国際競争力を高めることを目的として行われたもので、騒音防止対策を直接の目的とするものではなかった。

しかも前掲各証拠を総合すれば、一審被告神戸造船所における工法の改善に伴い、全体的には騒音の減少が進行したものの、部分的には相当遅くまで激烈な騒音作業が残されたばかりでなく、溶接工法の大量導入により、チッピングハンマーによる裏溝ハツリや溶接コブハツリが増え、騒音作業が増大した面もあった。そして、右チッピングハンマーによるハツリについては、遅くとも昭和三〇年代前半にはその発する騒音の比較的少ないアークエアガウジングやガスガウジングが導入されており、それらへの全面的転換が可能であったのに、昭和四〇年代後半に至るまで転換が完了していない。一審被告は、昭和四四年ころになってようやくチッピングハンマーによる騒音の絶滅対策に取り組んだけれども、それ以前には騒音の減少を正面に掲げた取組が行われた形跡はない。また、遮音板の設置等にしても、前示のとおり造船作業の性質上、技術面、衛生面、安全面において種々の困難や問題があることは否定し難いものの、どのような措置が可能であり、また効果があるかという点について、具体的に検討されたことはなく、もとより騒音処理に関する技術の向上や技術者の養成に努力が払われた形跡もない。その結果、同被告神戸造船所構内には、工法改善後も許容基準を超えるような騒音が残存していたことは前記認定のとおりである。

以上の諸点に、一審被告は同被告神戸造船所構内に強烈な騒音を発する作業場を数多く抱え、難聴患者が多数発生していたことを当然認識していたものと認められること、環境改善は騒音性難聴防止のために最も基本的効果的な対策であること、一方、防音用耳栓による防止対策は、必ずしも万全の効果を期待できるものでないことなどを考慮すれば、一審被告の行った環境改善面における前記措置・対策は、その要求される水準を考慮しても、前記(四)2に掲げた環境改善事項を履行していたものとは認め難い。」

一一同六九六枚目表〈中略〉、同末行〈前同一〇九頁第一段一〇行目〉の「最近では」を「昭和五四年ころからは」に改め、同六九七枚目表二行目〈前同頁第二段二行目〉の次に改行のうえ左のとおり加える。

「 聴力検査の対象は八五ホン以上の騒音作業場で一日三時間半以上就業する者であり、その検査方法はレコードに吹き込んだ話し声、時報等を聞かせるスクリーニングテストを行い、その結果から医師が判定して精密検査を行うというものであったが、昭和四八年からはオージオメーターを用い四〇〇〇Hzで三〇dB以上の聴力損失がある者について精密検査が行われた。

しかし、社外工は聴力検査の対象とされず、また本工の対象者も三年に一度の割合で実施されるにすぎなかった。そして、聴力検査の結果、聴力障害が認められた者に対しては、耳栓の装着が強く指導されたが、配置転換、就業時間(騒音曝露時間)の短縮等の措置はとられなかったし、とろうと試みたこともない。」

一二同六九八枚目裏九行目〈前同頁第四段一一行目〉の「前記のとおり」及び同六九九枚目裏六行目〈前同頁同段二一行目〉の「抗弁及び」をいずれも削り、同七〇〇枚目表六行目〈前同一一〇頁第一段一七行目〉の「後に」の前に「社外工については、一審被告において、同被告神戸造船所構内で作業を行う下請企業が自主的に組織した団体である安全協力会(昭和四四年以降は三菱神船協力会)を通じて各下請企業に対しその従業員に耳栓を支給するよう指導したが、」を加え、同裏一一行目〈前同頁第二段一八行目〉の「ことに」から同末行〈前同頁同段二〇行目〉末尾までを削り、同末行の次に改行のうえ左のとおり加える。

「(4) 以上の事実によると、一審被告は、騒音性難聴に対する衛生面の対策としては、耳栓の支給とその装着指導を主要なものとして実行してきたこと、作業場における騒音測定と作業者の聴力検査は戦後比較的早い時期から実施されたが、それらはいずれも右耳栓の支給、装着指導を万全にすることを主たる目的として行われたものといえる。

しかし、耳栓の支給、装着指導だけでは、騒音性難聴の防止対策として十分でないことは、先にみたとおりである。一審被告は、聴力検査を従業員に対し三年に一度の割合で行っているが、その作業場の騒音の状況からすれば、聴力低下の進んだ者を早期に発見するには、受検の間隔が開きすぎているし、また難聴の進行がある者に対しては配置転換や騒音曝露時間短縮の措置をとるべきであるのに、その措置をとろうとしたこともない。

さらに、社外工に対しては、耳栓の支給さえ十分でなく、一審被告は下請企業に対してその支給を指導したにとどまり、聴力検査も行わず、聴力低下の進んだ者に対し配置転換等の措置をとるよう下請企業に働きかけたこともないことは、前記認定事実に徴し明らかである。

したがって、一審被告には、以上の点でも安全配慮義務の不履行があるというべきである。」

一三同七〇一枚目表一行目〈前同頁同段二一行目〉の冒頭から同七〇三枚目裏一行目〈前同一一一頁第二段二行目〉の末尾までを削り、同三行目〈前同頁同段四行目〉の「被告」の次に「神戸造船所」を加え、同七〇四枚目表四、五行目〈前同頁同段二九、三〇行目〉の「一(三)(安全配慮義務の内容)3」を「一(四)(安全配慮義務の内容)4」に改め、同七行目〈前同頁同段三二行目〉の冒頭から同裏一行目〈前同頁第三段九行目〉の末尾までを左のとおり改める。

「 そして、同(五)で検討したとおり、一審被告のとった騒音性難聴防止対策は十分でなかったのであるから、一審被告には右注意義務を怠った過失があるものといわざるをえない。

(三) 違法性

一審被告は、一審被告らの騒音性難聴による被害は受忍限度の範囲内であるから、同被告の行為には違法性がないと主張する。

しかしながら、既に認定判断したような加害者側の事情、被害者側の事情のほか、騒音性難聴が聴覚器官に器質的損傷を与え、その結果、社会生活上重大な支障、影響を及ぼす疾病の一つであり、人間の最も重要な権利である身体・健康に対する侵害である点をも考え合わせると、後に認定する一審原告らの騒音性難聴が受忍限度内のものとはにわかに認め難く、他に違法性阻却事由が存在しない限り、原則として違法性があるものと解すべきである。」

一四同七〇四枚目裏一行目〈前同一一一頁第三段九行目〉の次に改行のうえ左のとおり加える。

「三 免責事由(違法性阻却事由)の主張について

(一) 許された危険の法理の主張について

一審被告は、我が国の産業の基幹をなす金属加工業者として、船舶・ディーゼルエンジン等社会的に有用な製品を製作しているが、金属加工の性質上、一定の騒音が生じることは不可避であり、技術的、経済的に可能なあらゆる方法を用いても、なお残存する騒音は「許された危険」であって、それにより一審原告らに軽度の職業病である聴力障害が生じたとしても、直ちに一審被告に対し債務不履行責任や不法行為責任を問うことは、企業活動の否定であり、その社会的利益を奪うもので、許されない旨主張する。

確かに、一審被告は、我が国有数の造船会社として、船舶・橋梁等の鉄構製品、ディーゼルエンジン、原動機等社会的に有用な製品を製作してきており、また、金属加工の性質上、一定の騒音の発生が不可避であることは前記認定事実から明らかである。しかし、たとえそうであるとしても、既に説示のとおり、労働者に対し工場騒音による聴力障害発生の危険が存する以上、同被告としてはその危険から労働者の身体・健康を保護すべき義務を信義則上負うというべきであって、技術的、経済的にあらゆる可能な方法を用いても(本件において一審被告がその方法を尽くしたと認め難いことは前記のとおりである。)、なお残存する騒音は「許された危険」であるとして、その騒音被曝により労働者が被った聴力障害による損害を、同被告が賠償する義務を負わないと解することは、労働者の権利を犠牲にし企業の営利を優先させた考え方であり、左袒し難いところである。

したがって、一審被告の右主張は採用しない。

(二) 不可抗力の主張について

1 一審被告は、前記工法の変更等によって同被告神戸造船所における騒音は著しく減少し、かつ前記衛生面における対策、ことに耳栓の支給、装着指導等をなしたから、同被告のとるべき措置としてはこれらで十分であり、これらの措置にもかかわらずなお騒音性難聴が発生したとすれば、それは不可抗力である旨主張する。

一審被告が工法の変更及び衛生面の対策において、一定の騒音性難聴の防止策を講じてきたことは前記認定のとおりである。しかし、それが安全配慮義務ないし注意義務の履行として十分でなかったことは前記説示のとおりであるから、一審原告らに発生した騒音性難聴が不可抗力によるものとはなし難い。

2 さらに一審被告は、昭和二〇年以前の戦前・戦中という特殊な状況にかんがみれば、同時期に一審原告らが同被告神戸造船所で就労し、騒音被爆により騒音性難聴に罹患したとしても、それは不可抗力である旨主張する。

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

我が国は、昭和八年国際連盟を脱退したころから次第に時局色を濃くし、同一二年七月日華事変が勃発、同年九月には軍需工業動員法が公布、施行され、続いて国民精神総動員実施要綱が発表され、同年一一月には日・独・伊防共協定が成立するなど、急テンポで非常時局の様相を帯びるに至り、経済は全面的統制へと向かった。昭和一三年五月、国家総動員法が施行されるに及んで、完全な戦時体制に移り、戦局の深刻化にしたがって労務要員の確保と充足のため軍需工場における労務管理は国家の統制下におかれた。

昭和一六年一二月太平洋戦争が開始され、造船界は艦艇及び軍需輸送用船舶の新造修理のため、軍需産業の第一線で活動することとなった。昭和一七年一月には造船事業の統制運営をはかり、造船に関する国策の立案及び遂行に協力することを目的として、造船統制会が設立された。昭和一八年一〇月軍需会社法が公布され、政府は軍需会社に対し生産・経理・運営等の全般にわたって命令することができることとなった。

一審被告神戸造船所は、国家総動員法等に基づき、昭和一五年三月海軍管理工場に指定されて全工場にわたり軍需管理が実施され、同一六年以降数次にわたり工員徴用が行われた。そして、昭和一七年重要事業場労務管理令により各工場とも重要事業場に指定され、昭和一九年一月軍需会社に指定された。同造船所は、就業強化等のため定時間を九時間から一〇時間に延長し、さらに各工場とも大部分の工員に二時間の残業を半ば強制した。

右認定のように、戦時中はいわば国策として艦船等の生産が急がれ、労務を半ば強制されるなど、非常時局、戦時体制という特殊な状況下にあったことは歴史的事実であり、一審被告も造船会社としてその役目を荷なわされたことは明らかである。そして、当時は、騒音対策の必要性も余り喧伝されておらず、むしろそれどころではなかったといった方がいいような情勢にあったとさえいえる。

しかしながら、およそ人の身体の安全・健康は、いかなる時代、いかなる社会的、経済的情勢のもとにおいても最も尊重されるべきものであること、前記検討によると、既に戦前から研究者や関係者の間で労働者の騒音性難聴の防止対策について提言や議論がなされていたにもかかわらず、当時、一審被告において騒音対策あるいは騒音性難聴の防止策についてほとんど何の配慮も払っていなかったことが窺われることなどに照らして考えると、当時の特殊の状況下で同被告が前記のような安全配慮義務ないし注意義務を履行することは極めて困難であったとはいえ、一審被告の一審原告らに対する右時代の安全配慮義務の不履行あるいは侵害行為が全くの不可抗力であって、一審被告の責任を全て免れさせるべきものであるとまでは断じ難い。

(三) 危険への接近の主張について

一審被告は、一審原告らは、いずれも同被告神戸造船所が騒音職場であって聴力障害を生じる危険が存し、その損害発生のおそれがあることを認識しながら、敢えて同被告神戸造船所又はその下請企業に就職して同造船所構内で稼働するに至ったり、あるいは右の危険等を認識しながら、敢えて就労を継続したものであって、このように敢えて危険に接近した場合には、当該企業に就労後、実際に被った被害の程度が、就労の際本人がその存在を認識した危険から推測される被害の程度を超えるものであったとか、就労後に危険の程度が格段に増大したとかいうような特段の事情が認められない限り、不法行為責任に関しては、その被害は受忍限度内のものとして違法性を欠き、また、債務不履行責任に関しても、信義則上、安全配慮義務違反とはならないから、一審原告らはこれによって生じた被害を理由に損害賠償請求をすることは許されない旨主張する。

既に認定したような一審被告神戸造船所構内における騒音状況、難聴者発生の事実及び後に各論において認定する事実に照らしてみると、一審原告らの中には、以前に同被告神戸造船所で稼働した経験から、同被告神戸造船所構内においては一定の騒音があることを知りながら、中には同造船所構内での就労により騒音性難聴に罹患する可能性のあることを認識しながら、再びあるいは何度かにわたって同被告神戸造船所構内で就労するに至った者の存することが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

しかしながら、一審被告神戸造船所構内といってもかなり広く、種々の職場があり、個々の作業場所、作業内容、周辺の環境等によって騒音の大小・性質等が極めて区々であって、個々の労働者が同被告神戸造船所構内の騒音から受ける騒音被曝状況は千差万別であり、しかも騒音に対する人の感受性には個体差が著しく、騒音による聴覚の受傷性にも強弱があるから、騒音被曝により騒音性難聴に罹患し、それが進行する危険といっても、その蓋然性の程度はまちまちであり、同被告神戸造船所構内での就労による聴力障害・低下の危険についての認識の程度も各労働者により異なるのは見易いところである。従って、その被害が先に指摘したように社会生活に重大な支障をきたす疾病であることをも考慮すれば、一審原告らがかかる危険をある程度認識しながら、一審被告又は下請企業に就職して同被告神戸造船所構内で就労したからといって、直ちにその被害を全面的に甘受すべきものとし、不法行為責任に関しては受忍限度内のものとして違法性を欠き、債務不履行責任に関しても安全配慮義務違反にはならないと解することはできないというべきである。

但し、一審原告らが自己の体験に基づき一審被告神戸造船所構内における職場の騒音状況を知り、その騒音被曝により現実に聴力が低下したことを自覚し、騒音性難聴に罹患する危険のあることを認識しながら、他の就業先を選択して右危険を回避することが容易にできない等特段の事情がないにもかかわらず、敢えて一審被告あるいはその下請企業と雇用契約を締結し、再度又はそれ以上にわたり同被告神戸造船所で就労し、そのために騒音性難聴による被害を被ったときは、具体的な事情の如何により、慰藉料の額を定めるについてこれを減額事由として考慮するのが相当である。」

第四時効について

原判決七〇四枚目裏三行目〈前同一一一頁第三段一一行目〉から同七〇七枚目表二行目〈前同一一二頁第二段三〇行目〉までを引用する。但し、次のとおり訂正する。

一同七〇四枚目裏末行〈前同一一一頁第三段三一、三二行目〉の「有力であって」を「有力ではあるが」に改め、同七〇五枚目表五行目〈前同頁第四段七行目〉の次に改行のうえ左のとおり加える。

「したがって、騒音性難聴は騒音曝露開始後一〇年(就労開始後二〇年)で固定するとの前提に立って、同原告らの損害賠償請求権が時効消滅したとする一審被告の右主張は、理由がないというべきである。」

二同七〇五枚目表六行目、八行目、九行目、同裏八行目、同末行、同七〇六枚目表二行目、三行目(二か所)の各「被告」の次にいずれも「神戸造船所」を加え、同七〇五枚目表一一行目〈前同頁同段一七、一八行目〉の「者がない」を「者が少なくない」に、同七〇六枚目表一一、一二行目〈前同一一二頁第一段三二行目〉の「障害特別補償金」を「上積補償金」に、同末行から同裏一行目〈前同頁第二段三行目〉の「と解される」を「である」に、同行〈前同頁同段四行目〉の「前述した」を「後に記す」に、同一〇行目の「被告ら」を「一審被告」にそれぞれ改める。

第五損害について

原判決七〇七枚目表四行目〈前同一一二頁第二段三二行目〉から同七〇九枚目裏六行目〈前同一一三頁第一段三行目〉までを引用する。但し、次のとおり訂正する。

一同七〇七枚目裏一行目〈前同一一二頁第三段一五行目〉の冒頭から同一一行目〈前同頁同段末行〉の末尾までを左のとおり改める。

「この点につき、一審被告は、労災保険の認定において平均純音聴力損失値の算定方法として採用されている六分法は聴力障害の評価方法として、不正確、不適切であり、いわゆる四分法によって判断すべきであると主張する。

〈証拠〉によれば、会話音域に当たる言語周波数は五〇〇ないし二〇〇〇Hzとされているところ、我が国独自の六分法は日常生活に必ずしも大きな支障のない四〇〇〇Hzの聴力損失値を考慮するものであり、これを妥当でないとする見解もあるけれども、他方、言語音中の有用なエネルギーは約二〇〇〇Hzから六一〇〇Hzの範囲にあるとの見解や、言語スペクトル中の等識別点は約一六〇〇Hzであり、それ以上の周波数と、それ以下の周波数とは言語の理解に対して等しい重要性を持っているとの見解もあり、また、職業上あるいは社会生活上、ピッチの高い、弱い音を同定したり、あるいはその局在を認識することが重要な場合(例えば音楽を鑑賞したり、機械の故障を発見するような場合等)には、二〇〇〇Hz以上の高周波音域に対する聴力を保護する必要があるとの指摘も存すること、労働省は、昭和三四年ころ、従来採用していた四分法を六分法に改めるにあたっては、右のような専門家の意見を参考にしており、その後も労災保険審議会に設けられた難聴専門家会議、障害等級専門家会議における審議によっても、六分法が維持されていることが認められる。

右認定事実に照らして考えると、本件における慰藉料額の算定にあたっては、六分法による聴力損失値を基礎として判断するのが相当である。」

二同七〇八枚目表一行目〈前同一一二頁第四段五行目〉の末尾に続けて「また、〈証拠〉によれば、戦時中しばしば行われたいわゆる「ビンタ」は、内耳出血や内耳振盪を引き起こし、聴力障害の原因になる可能性のあることが一般的に認められ、一審原告らにつきビンタによる聴力障害があるとすれば、これも除外すべきである。」を、同二行目〈前同頁同段七行目〉の「問題となるが、」の次に「〈証拠〉によれば、労災認定手続においては、加齢による聴力低下分を差し引くことはしていないこと、ちなみに、加齢による聴力低下分の控除の有無につき、アメリカ五二州のうち、二三州が差し引かない、一四州が差し引くこともあり得る、七州が差し引くこととしていることが認められる。しかし、」を加え、同五行目〈前同頁同段一一行目〉の「本件にあっても、」の次に「公平の見地から、」を、同六行目〈前同頁同段一四行目〉の末尾に続けて「もっとも、原告ら各人について、右加齢要素による部分を数量的に判定することは現代医学上不可能であるから、日本人の加齢による平均的聴力損失値を参酌して判定することもやむを得ない。」をそれぞれ加え、同六行目の次に改行のうえ左のとおり加える。

「〈証拠〉によれば、日本人の加齢による平均的聴力損失値として、日本オージオロジー学会で承認されたものはないが、健康正常日本人四一二例について、年齢と聴力との関係を調査した結果に基づき、右平均的聴力損失値を計算すると、五〇〜五四歳では6.5dB前後、五五〜五九歳では8.9dB前後、六〇〜六四歳では16.3dB前後、六五〜六九歳では21.5dB前後になることが認められる。」

三同七〇八枚目裏一行目〈前同一一二頁第四段二七行目〉の「原告ら」の次に「の中に」を、同行、同二行目の各「被告」の次にいずれも「神戸造船所」をそれぞれ加え、同行〈前同頁同段二九行目〉の「ある程度」を削り、同三行目〈前同頁同段三〇、三一行目〉の「至ったことがあり、これらには」を「至った者も含まれているところ、右就労には」に、同八行目〈前同一一三頁第一段五行目〉の「(四)」を「一(五)」にそれぞれ改め、同一一行目〈前同頁同段一一行目〉の「認め難い。」の次に「前認定のとおり、」を加え、同七〇九枚目表一行目〈前同頁同段一六行目〉の「原告ら」から同四行目〈前同頁同段二四行目〉の「あるから」までを「他方、耳栓は、高音域で三〇dB前後の遮音効果があり、これを適切に着装すれば、騒音性難聴の進行程度を相当に抑えることができるものであり、一審原告らは、一審被告神戸造船所が騒音職場であり、騒音性難聴が発生するおそれがあることを認識しており、耳栓の装着指導も多かれ少なかれ受けていたものであるから、一審原告らにも耳栓を装着して自己の健康を保護すべき責任の一端があるものというべきであり(労働安全衛生法二六条、同規則五九七条参照)」に、同裏六行目〈前同頁第二段一五行目〉の「各論」を「各論において記述する。」にそれぞれ改める。

第六損益相殺の主張について

原判決七〇九枚目裏八行目〈前同一一三頁第二段一七行目〉から同七一一枚目表末行〈前同頁第四段二五行目〉までを引用する。但し、同七一〇枚目裏七行目〈前同頁第三段二四行目〉の「同法」を「同条」に改め、同八行目〈前同頁同段二五行目〉の「労働者災害補償」の次に「保険」を加える。

第二章各論(各原告の個別的事項)

〔1〕(一−一)一審原告齋木福右衛門

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四四年二月一日出生

①昭和四年四月〜同七年一月

建築工務店

②昭和七年一月〜同八年一一月

兵役(歩兵第七〇連隊)

③昭和一二年四月〜同二一年三月

三菱電気

但し、④昭和一四年四月〜同一六年一二月

兵役

⑤昭和二一年四月〜同三〇年五月

土工

⑥昭和三〇年六月〜同三九年九月

松尾鉄工、昭和三三年合併により光合同(一審被告神戸造船所構内)

⑦昭和四〇年一月〜同四〇年八月

神和工業(右同)

⑧昭和四一年一月〜同五一年七月

三神合同(右同)

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 一審原告齋木は、①の期間、建築工務店に勤務し、現場監督の助手をしたが、騒音に曝されたことはなかった。

(二) 同原告は、兵役として、②の期間、歩兵第七〇連隊に所属し、もっぱら内地勤務をし、また、④の期間、当初、初年兵・補充兵の教育に当たり、その後広東、ハイフォンなど外地に渡ったが、実戦はなかった模様であり、いずれも特に騒音被曝を受けたことを認める証拠はない。

(三) 同原告は、③の期間、三菱電気に勤め、⑤の期間、土工として工事現場見回りをしたが、特に騒音を受けることはなかった。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告齋木は、⑥から⑧に至る約二一年間、一審被告の下請会社である松尾鉄工(のち光合同)、神和工業、三神合同に雇用され、一貫して同被告神戸造船所船穀屋内作業場のA棟(現F棟)で撓鉄工として就労した。

撓鉄工の仕事は、大別して機械撓鉄(水圧又は油圧プレスを操作することによる曲げ加工)と定盤撓鉄(プレス等で曲げ加工された部材を定盤上で更にバーナーやピーニングハンマーを用いて仕上げる作業)の二つのグループに分かれていたが、両者の作業場所は近接していた。

現場では下請工も一審被告の本工と同じく同被告の職制の指揮下に入り、内業課の職長・作業長(正副)の指揮命令によって本工と混在して作業を行っていた。

(二) 同原告は、昭和三〇年六月同被告神戸造船所に入構した当初はキールベンダー(昭和三一年ころ以降使用されなくなる。)の先手として、次いでプレスの先手として働いたが、昭和三三年ころから定盤撓鉄の仕事をするようになり、最初のうちはピーニングハンマー等を用いて、その後は後記のとおりいわゆる線状加熱法により、主に外板の仕上(曲げの修正)作業に従事した。同原告は、残業、夜勤作業も相当量行った。

キールベンダーやプレス作業自体の騒音としては、鉄板が曲がる時に発する音くらいで、ピーニングハンマー等の音に比すると、騒音レベルは小さいようであるが、キールベンダーで曲げた後の修正にはハンマーが用いられ、その打撃音がしていた。

定盤では、かつては主としてピーニングハンマーその他のハンマーによる撓鉄が行われており、ピーニングは特に相当の騒音を発する作業であったが、昭和三〇年ころ線状加熱法が採り入れられ、同三五、六年ころには全面的に採用されるようになったこと、また、同三五年ころ能率と曲げ精度の良い一〇〇〇トン油圧プレスが導入され、プレスの大型化も進められたこと、さらにピーニングは部材に傷を残しやすい等のため、同年ころ一審被告の職制から撓鉄工全員に対しその使用をしないように指導が行われるようになったことなどから、ピーニングハンマーによる仕上加工作業は次第に少なくなり、騒音もピーニングのそれからガスバーナーの噴射音に変わっていった。

もっとも、ピーニングは手軽であり、しかも作業者が意のままに的確に曲げの修正を行えることもあって、実際には、作業者の間では相当遅くまで用いられていたようである。

(三) A棟に隣接するM棟(現E棟)では小組立(主体は溶接)等の作業が、また、B棟(現G棟)ではガス切断・穴明け等の作業が行われていたが、これらの隣接する棟の間に隔壁はなく、騒音の減衰効果はあるものの、相互に音が響き合う状況にあった。

(四) 同原告は、⑧の期間、三神合同のボーシンとして作業者の出欠の点検、配置、供給に関する仕事に携わるようになったが、その間の騒音被曝状況も従前と格別変わらなかったようである。

(五) ちなみに、一審被告が昭和五二年七月内業課で測定した騒音レベルは、現F棟では90.3ホン、89.7ホン、現G棟では89.8ホン、現E棟では92.3ホン、87.2ホン、課内平均では89.8ホン(前回平均89.0ホン)となっている。

4 耳栓の支給・装着状況

一審原告齋木は、三神合同に移ってからの昭和四一、二年ころ初めて三神合同から耳栓を支給された。それ以前に支給されたことはなく、自分で綿やちり紙を濡らして耳に詰めたりしていたが、耳栓を支給されてからは常時着用していた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告齋木は、昭和四三、四年ころ(五七、八歳ころ)から聴力の衰えを自覚するようになった。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年一月二一日(六五歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右四九dB、左五二dB、語音最高明瞭度が右七二%、左七七%であり、障害等級は、労災保険法施行規則別表第一の障害等級表(以下「障害等級表」という。)における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

3 同原告の聴力に関する資料として、(イ)昭和五一年六月二九日三菱神戸病院、(ロ)同年七月二七日西診療所(但し、語音最高明瞭度は同年八月三日測定)、(ハ)同年一〇月一三日、(ニ)同月二八日、(ホ)同年一一月一一日、以上関西労災病院で測定されたいずれも六五歳時の各聴力検査結果(オージオグラム五枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、三菱神戸病院では右50.8dB、左62.5dB、西診療所では右50.0dB、左60.0dB、関西労災病院では右47.5dB〜52.5dB、左51.7dB〜52.5dBとなっている。また、聴力像を見ると、(イ)(ロ)の二枚は低音域に気導・骨導差が見られたり、左右差があったり、低音域の方が中音域に比べて低下したりして、騒音性難聴の聴力像とみるには疑問に思われる点もないではないが、最良の検査成績を示している(ハ)(ニ)(ホ)の三枚を見ると、低音域がかなり残存していて、気導・骨導差、左右差もさほどなく、パターンは左右とも高音漸傾型を示している。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所では左右とも七五%(右九〇dB、左七〇dB)、関西労災病院では(ハ)左右とも八〇%(一〇〇dB)、(ニ)右六五%、左七五%(以上八〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「最良の成績を示している(ハ)(ニ)のデーターを見ると、騒音性難聴のパターンとみて矛盾はないし、気導・骨導差、左右差から見てもとくに問題となるものはない。やや明瞭度が良すぎるが、この程度であれば、騒音性難聴の可能性が低いという程度のものではない。以上、総合すると、騒音性難聴の可能性は否定できない。」旨述べており、当審証人岡本途也も、右と同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定の事実によると、一審原告齋木の聴力像は、高音漸傾型を示し、騒音性難聴の特徴に合致しており、騒音性難聴とみて妨げないところ、同原告は、昭和三〇年四月から同五一年七月まで約二一年余り一貫して一審被告神戸造船所船穀屋内作業場で撓鉄工として就労してきたものであり、その間相当の騒音に曝されていること、一審被告入構以前にさしたる騒音に曝露されたことは認められないこと、同人の聴力低下には加齢要素による部分の含まれることは否定できないが、他の耳の疾病によるものとは認められないことなどを考え合わせると、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告齋木は、⑥⑦⑧の各期間、いずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告齋木の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年で聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告齋木の各中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によれば、一審原告齋木は昭和三九年九月光合同を退職後神和工業に入社するまで約四か月間、さらに同四〇年八月同社を退職後三神合同に入社するまで約五か月間、それぞれ一審被告神戸造船所構内を離脱していたことが認められるけれども、右各離脱期間はわずか数か月間にすぎず、比較的短いことからすると、総論で検討したとおり、右各中途退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、少なくとも不法行為については、独立して進行しないものと解するのが相当である。

したがって、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

一審原告齋木の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六五歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は21.5dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右の聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告神戸造船所における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は七割程度と認めるのが相当である。

なお、一審被告は、同原告が昭和四〇年一月以降の同被告神戸造船所構内での就労により被った聴力障害については同原告の承諾にかかわるものであり、損害額の算定にあたり斟酌されるべきであると主張するが、本件全証拠によるも右承諾の事実は認められないのみならず、同原告は右時点では聴力低下を全く認識していないから、たとえ同造船所が騒音職場であると認識しながら神和工業に入り、同造船所構内で就労したとしても、これを危険に接近したものとして慰謝料の算定にあたって考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告が受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一五〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一五万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔2〕(一−二)承継前一審原告亡山下数男

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正元年一一月二八日出生

①昭和四年〜同八年  農業

②昭和八年〜同九年一二月  兵役

③昭和九年一二月〜同一一年九月

農業

④昭和一一年一〇月二日〜同二〇年九月三日

一審被告本工(同被告神戸造船所構内)

但し、右期間中、⑤昭和一三年五月〜同一五年七月

兵役

⑥昭和二三年一〇月一四日〜同四五年四月三〇日

一審被告本工(右同)

⑦昭和四五年八月二五日〜同五〇年八月一三日

三神合同(右同)

昭和五九年一月二九日死亡

2 一審被告神戸造船所構内以外の騒音被曝状況

(一) 亡山下は、①及び③の期間、いずれも農業に従事したが、騒音に曝されることはなかった。

(二) 亡山下は、②の期間、満州に出兵して満州事変に従軍し、また、⑤の期間、南京・武漢に出兵して支那事変の実戦に参加したが、当時の激しい戦闘状況等からその際騒音に被曝されたものと思われるものの、その具体的状況は証拠上明らかではない。しかし、⑤の応召時耳鳴りが始まり、難聴のため野戦勤務で苦労した。もっとも、昭和一三年暮に左足骨折の戦傷のため内地に送還され、同一五年ころまで入院、転地療養生活を送っている。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡山下は、昭和一一年一〇月から同二〇年九月まで、兵役期間を除き、一審被告本工として同被告神戸造船所構内の山型T棟で、ハンマー等を用いて、船舶用アングルの背切り作業(アングルに段を付けるいわゆる鍛冶作業)を行った。当時は、戦時体制下でもあり、作業量も多く、騒音も相当のものであった。

(二) 亡山下は、戦後昭和二三年一〇月から同二八、九年ころまで戦前同様の山型T棟で、前同様の作業に従事した。戦後当初の時期は、作業量も少なく、騒音レベルも必ずしも大ではなかった。

(三) 亡山下は、昭和二八、九年ころから同三〇年六月まで、造船工作課E棟において、主に水圧プレスを用いて小物と呼ばれる鉄塔用型鋼(アングル材)の曲げ加工作業(一人作業)に従事した。

水圧プレス自体は、シリンダーの中をピストンが動くときに作動音がするだけで、さほど大きなものではなかった。

(四) 亡山下は、昭和三〇年六月二〇日、作業中に左手親指切断の災害に遭ったので、その後亜鉛鍍金場(H棟)に配置替えとなり、昭和三九年一二月ころまで、仕上工程で亜鉛鍍金のタレをヤスリでこすり落とす作業に従事した。

亜鉛鍍金場は、南側だけ常時間口の半分が開放されていたものの、それ以外は壁で遮蔽され、南側を出た所も鍍金仕上がり製品の仕分け・発送場であって、周辺からの騒音の影響もほとんどなく、構内に設置されていたジンブルも、機械の回転音が多少あるだけで、比較的騒音の少ない職場であった。

(五) 亡山下は、昭和四〇年ころ撓鉄山型工に変わり、同四三年八月ころまでG棟南側の屋外作業場で、主としてガスバーナーを用いて鉄骨関係の歪取り作業に従事した。同人は、前述のとおり左手親指を切断していたが、時にはハンマーを使用したこともないではなかった。

ガスバーナーは、ガスの噴射音が耳につくが、耳栓を装着していれば大して大きな騒音ではなかった。

(六) 亡山下は、昭和四三年八月から同四五年四月三〇日まで橋梁専門工場のSA棟及び屋外のSXヤードで前同様橋梁用鋼材の歪取り作業に従事した。

(七) 亡山下は、昭和四五年八月一審被告の下請会社である三神合同に入社し、同五〇年八月まで右(六)と同じ場所で同じ作業に従事した。

4 耳栓の支給・装着状況

亡山下は、昭和三〇年代の中ごろ耳栓の支給を受けた。その後これを装着したものと思われる。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡山下は、昭和一三年(二五、六歳)の兵役の際には伝令として野戦に参加したが、上官の命令が聞きにくいことがあった。

2 亡山下は、たびたび病気で治療を受けているが、耳の病気のことが多かった模様である。また、昭和二六年ころ(三八歳ころ)耳の痛みを訴え、内耳炎と診断され、約一年間ほぼ一日おきに通院して治療を受けたこともある。さらに昭和四三年一二月二七日三菱神戸病院で検査を受けた際、既往症として「右中耳炎」と記載され(本人の申告か)、臨床所見として右真珠腫、両混合性難聴とされた。

3 関西労災病院では、昭和五一年一一月聴力検査の結果、「側頭首X線、検血、検尿、梅毒反応および鼓膜所見は特に異常なし、平衡機能検査にても内耳性障害を思わす所見は少ない。」との検査結果を得、「感音性難聴(両)、騒音作業、聴力像などにより騒音性難聴も考えられる。なお浮動感に関しては高血圧もあり、内科的に精査中である。」としたが、その後、右内科から「難聴と高血圧との関係については、高血圧がそれ程大きく影響しているとは考えられない」旨の報告を得た。

4 亡山下は、昭和五二年一月二一日(六四歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が左右とも各五五dB、語音最高明瞭度が右三七%、左五二%であり、障害等級(旧基準)は、労働者災害補償保険法施行規則(昭和二二年九月一日労働省令第一号)別表二、身体障害等級表(以下「旧障害等級表」という。)における一一級の四(鼓膜の中等度の欠損その他により一耳の聴力が四〇センチメートル以上では普通の話声を解することができないもの)である。

5 亡山下の聴力については、(イ)昭和四〇年六月一〇日(五二歳)一審被告衛生課、(ロ)同年一二月二七日三菱神戸病院(五三歳)、(ハ)同四三年二月一七日(五五歳)一審被告衛生課、(ニ)同四四年二月二七日(五六歳)同課、(ホ)同五〇年九月二七日〜同年一一月一八日(六二歳)湊川耳鼻咽喉科医院、(ヘ)同五一年八月五日(六三歳)西診療所、(ト)同年一一月二日(同)関西労災病院、(チ)同月一六日(同)同病院でそれぞれ測定された各聴力検査結果(オージオグラム八枚)がある。

その平均純音聴力損失値は、衛生課((イ)(ハ)(ニ))では右52.5〜60.0dB、左50.8〜51.7dB、三菱神戸病院では((ロ))右スケールアウト、左59.2dB、湊川耳鼻咽喉科医院((ホ))では右43.3dB、左46.7dB、西診療所((ヘ))では右56.7dB、左58.3dB、関西労災病院((ト)(チ))では右53.3dB、55.0dB、左54.2dB、55.0dBとなっている。また、聴力像をみると、衛生課の(イ)は一二五Hzから一〇〇〇Hzあたりまでが四〇〜五〇dB程度、四〇〇〇Hz、八〇〇〇Hzが五〇〜六〇dBしか低下していない水平型であり、同課の(イ)(ハ)(ニ)及び湊川耳鼻咽喉科医院の(ホ)はパターンが類似しており、三菱神戸病院の(ロ)は右耳の気導聴力のみ著しく低く、特異な結果になっており、関西労災病院の(ト)(チ)は、四〇〇〇Hzの低下が他の音域に比し必ずしも大きくない。しかし、(ロ)のデーターを除き、左右差、気導・骨導差はほとんどない。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所((ヘ)昭和五一年八月一七日測定)では右七〇%(八〇dB)、左八五%(九〇dB)、関西労災病院((ト)同年一一月二日測定、(チ)同月一六日測定)では右三五%(一〇〇dB)、四〇%(八〇dB)、左五〇%、五五%(以上一〇〇dB)となっている。

6 亡山下の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「(イ)の聴力像は水平型であるが、騒音性難聴では一般に高音域が一層低下し、スケールアウトになるものであることからみると、騒音性難聴ではまずありえない。昭和四〇年から退職時(昭和五〇年八月)まで聴力障害は全く進行しておらず、退職後は低音域、高音域ともに低下しているが、これは加齢要素による進行か、退職後の騒音被曝のためか、労災申請によるためか、何らかの理由で落ちたものと考えられる。この症例は感音難聴と判断することはできるが、騒音性難聴である可能性は低い。」旨述べており、当審証人岡本途也の証言も、これとほぼ同様の意見になっている。

三因果関係

前記事実によると、亡山下は、戦前の昭和一一年一〇月から兵役期間を除き約七年間、さらに戦後昭和二三年一〇月から約二六年六か月間、撓鉄工等として撓鉄や歪取り等の騒音作業に携わっており、相当の騒音に曝露されたものと認められ、また亡山下の聴力像は左右差、気導・骨導差がほとんどないことから感音性難聴と判断できることを考え合わせると、騒音性難聴とみる余地がないわけではない。

しかし、亡山下は、昭和一一年一〇月から約一年八か月という短期間一審被告神戸造船所で就労しただけで兵役に就いたが、その際早くも聴力低下を認識していること、兵役で満州事変、支那事変に従事し、実戦にも参加して騒音に被曝されたものと思われること、昭和二六年ころ耳の痛みを訴え、内耳炎と診断され約一年間通院治療を受けたことがあり、さらに右中耳炎を患ったこともあること、聴力像が騒音性難聴のパターンと異なっていることなどの点を考えると、亡山下の聴力障害を一審被告神戸造船所構内の騒音被曝による騒音性難聴と認定するのは困難である。

四結語

以上の次第であるから、承継前一審原告亡山下の訴訟承継人である一審原告山下せつ子の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔3〕(一−三)一審原告村上忠義

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正二年一一月二七日出生

①昭和三年四月〜同一五年八月

麻生工業(株)(大阪鉄工所(現日立造船)因島工場構内、鉄工)但し、昭和七年まで下請工、同八年から本工

②昭和一五年九月〜同二二年六月

兵役(歩兵)

③昭和二二年七月〜同二五年一〇月

宇都工業(株)(占部(山陽)造船所田熊工場構内、溶接工)但し、昭和二三年五月まで下請工、その後本工

④昭和二五年一一月〜同二六年五月

(株)播磨造船所(溶接工)

⑤昭和二六年八月〜同三二年一〇月

宇津原鉄工所(一審被告神戸造船所構内)

⑥昭和三二年一一月〜同五一年一二月

三神合同(右同)

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 一審原告村上は、①の期間、麻生工業(株)に勤務し、大阪鉄工所(現日立造船)因島工場内で、昭和三年四月から同九年までの約六年間、取付工として地上組立場等で仮組立作業に従事した。その後昭和九年電気溶接工となり、当初約二年間は溶接工場で溶接ピースの取付等の試験作業に携わり、その後昭和一五年八月まで修繕船内等で鉄板の溶接作業に従事した。

当時、溶接工場以外の現場周辺では鉸鋲、コーキング、裏溝ハツリの作業が行われており、同原告はこれら相当の騒音に曝されたものと思われる。騒音の緩和のため鉸鋲作業場と溶接作業場との間に仕切り板を入れることもあった。当時はまだ耳栓の支給はなく、耳にちり紙等を詰めたりしていた。

(二) 同原告は、②の約七年足らずの間、兵役に就き、中国・シンガポール・ニューギニアを転々としたが、その間の具体的な騒音被曝状況は証拠上明らかでない。

(三) 同原告は、その後③の期間、宇都工業(株)に勤務して占部造船所構内で、④の期間、(株)播磨造船所に勤務して同造船所構内で電気溶接工として就労し、船台・修繕船内・地上等で溶接作業に当たった。当時はまだ船台や修繕船内で鉸鋲やコーキング等の作業が行われており、右各構内でもこれら相当の騒音に曝されたものと思われる。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告村上は、昭和二六年八月一審被告の下請会社である宇津原鉄工所(構内下請部門は昭和三二年一〇月三神合同に継承された。)に入社し、当初は同社の川崎重工業神戸工場構内及び一審被告神戸造船所構内における作業の責任者として、前者の工場構内で就労していたが、昭和二八年ころから同被告神戸造船所における専任の責任者として、同造船所構内に駐在するようになった。そして、それ以後昭和五〇年六月まで約二二年間、同被告神戸造船所構内で稼働したことになるが、この間、一貫して作業責任者(総ボーシン、昭和三四、五年ころ職長と改称)の地位にあり、宇津原鉄工所、三神合同の現場責任者として、その任に当たる一審被告職制の下で、次のような業務を担当した。

すなわち、同原告の業務内容としては、溶接工等職人の手配、元請会社との作業に関する折衝や報告・連絡のほか、自社の会議への出席、現場のボーシンとの作業に関する打合せや指示、自社従業員の勤怠の管理・現場作業員に対する安全・技術の管理・指導・監督等の事務的な仕事が比較的多かった。

当時は鉸鋲から溶接への転換が進んだ時期であり、優秀な溶接工を確保する必要に迫られていたため、同原告は、右溶接工手配の目的で二、三日から四、五日かけて職場を離れ、各地に赴くこともあったが、それ以外は同被告神戸造船所構内にいた。もちろん、溶接の指導・監督をする場合や、作業の進捗状況を把握したり、災害の処理等に当たる場合は、騒音作業現場に出ることはあったが、主として、現場から離れた第四船渠北側にある騒音の低い現場事務所(社外工ハウス)で右業務を処理しながら過ごしていた。右現場事務所は、その後昭和四二年ころ作業現場から離れた鉄構工作課橋梁工場西側の中部協力工ハウスに移転した。

なお、同原告は、昭和三七年一〇月大型蒸気タービン・水車等の専門工場として一審被告高砂工場が発足するや、二年間ほど同工場で職長として就労したが、その後再び同被告神戸造船所に戻り、従前と同様の業務に就いている。

(二) 同原告は、昭和五〇年七月から下請会社の親睦団体である菱協会の事務局職員となり、かたわら三神合同の勤怠係をも兼務し、鋳造課木型検査場二階の三神合同本社内にある同協会の事務局で、退職するまでもっぱら同協会役員会の議事録その他関係書類の作成、電話連絡の応対等の業務に当たり、現場に出ることはなくなった。右職場には現場作業の騒音はなかった。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和四〇年代の初めころ耳栓の支給を受け、以後これを着用していた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告村上は、昭和四〇年ころ(五二歳ころ)から疲労すると耳鳴りを覚え、妻から耳が遠いと言われ、聴力低下を自覚するようになったと供述しているが、昭和二八年(四〇歳ころ)に宇津原鉄工に勤務した当時、既に同原告はやや耳が遠いと感じた者もあった。

なお、同人はかつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年五月二〇日(六三歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右四二dB、左四八dB、語音最高明瞭度が右七〇%、左七二%であり、障害等級は、障害等級表における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

3 同原告の聴力については、(イ)昭和五一年一二月二八日(六三歳)西診療所、(ロ)同五二年三月九日(同)、(ハ)同月二四日(同)、(ニ)同年四月七日(同)、以上関西労災病院でそれぞれなされた各検査結果(オージオグラム四枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所((イ))では右38.3dB、左50.0dB、関西労災病院((ロ)〜(ニ))では右39.2〜46.7dB、左46.7〜50.0dBとなっている。聴力像は、いずれも低音域が残存して高音域が急墜しており、高音漸傾型を示している。気導・骨導差もそれほどなく、左右差も二〇〇〇Hz以上の中・高音域で一〇ないし一五dBの差があるが、問題とすべき程のものではない。

一方、語音最高明瞭度((ロ)(ハ))は、右六五%、七五%、左七五%、七〇%(以上八〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「騒音性難聴のパターンの一つとみて矛盾はないと考える。気導・骨導差、左右差とも問題とすべき程度のものではなく、明瞭度も右判断を左右するものではない。」旨述べており、当審証人岡本途也も、短期間で、一種類だけの調査であるから断言はできないとしながらも、右同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告村上の聴力像は、高音漸傾型を示し、騒音性難聴の特徴に合致しており、騒音性難聴とみて妨げないものである。

しかしながら、同原告は、一審被告神戸造船所に入構する以前の、戦前・戦後約一六年間にわたり大阪鉄工所(現日立造船)因島工場・占部造船所田熊工場・播磨造船所の各構内で取付工、電気溶接工として就労しており、当時は現場周辺でまだ鉸鋲・コーキング・裏溝ハツリ等強度の騒音作業が行われていた時代であることに照らしても、右各造船所構内で相当の騒音被曝を受けたものと認められる。これに対し、一審被告神戸造船所入構後は、約二四年間にわたり、もっぱら作業責任者として、主として騒音の少ない現場事務所で事務的な業務を処理していたことが明らかである。同原告は、同被告神戸造船所で就労してから約一四年経過後の昭和四〇年ころ聴力低下を自覚しているが、すでに昭和二六年ころ耳が遠いと感じている者もあり、右自覚のみをもって同原告の聴力低下が同被告神戸造船所の騒音に起因するものとはにわかに認め難い。

以上の事実に加えて、騒音性難聴は、騒音曝露後約一〇年間に大半の障害を起こしてしまう性質を有することなどを総合して考えると、同原告の聴力障害は、一審被告神戸造船所構内における騒音被曝によるものとは認め難く、むしろ同造船所入構以前の他の造船所での騒音被曝によるものと認めるのが相当であり、したがって、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係がないものというべきである。

四結語

以上の次第であるから、一審原告村上の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔4〕(一−四)一審原告藤本忠美

一経歴及び騒音被曝状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正九年三月一六日出生

①昭和一二年四月〜同一四年四月

逸見鉄工所

②昭和一五年〜同一七年

久保田鉄工所(主に大阪ガス神戸工場内)

③昭和一七年四月〜同一八年四月

徴用(第一一海軍工廠)

④昭和一八年四月〜同二〇年一〇月

徴用(第一二海軍工廠)

⑤昭和二一年四月〜同二四年又は二五年

三菱鉱業崎戸鉱業所(長崎県)で鉱夫

⑥昭和二五年ころ〜同二六年

近藤鉄工所(野田浜鉄工所の下請)(一審被告神戸造船所構内)

⑦昭和二六年〜同二八年

原初鉄工所(同被告神戸造船所構内)

⑧昭和二九年ころ約半年間

杉田工業所(日本油脂兵庫工場内)

⑨昭和二九年六月〜同三二年一〇月

宇津原鉄工所(一審被告神戸造船所構内)

⑩昭和三二年一一月〜同五一年九月

三神合同(右同)

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 一審原告藤本は、①の期間、焼玉エンジンなどを製作する逸見鉄工所でエアタンク等の製造作業に従事した。同鉄工所は、比較的小さな部屋の中で一五人位が働いており、周囲ではカシメ、コーキング、ハンマーによる曲げ加工等が行われ、かなりの騒音はあったが、町工場であり、造船所のような騒音ではなかった。

(二) 同原告は、②の期間、久保田鉄工所に勤務し、大阪ガス神戸工場内で配管の修繕や新設作業に従事したが、とくに騒音に曝されたことはなかった。

(三) 同原告は、③④の約三年間、第一一及び第一二海軍工廠で飛行機の発動機製作工程におけるガス溶接作業に従事したが、飛行機の試運転が行われることもあり、ある程度の騒音を受けていた。

(四) 同原告は、⑤の三ないし四年間、三菱鉱業崎戸鉱業所で最初約一年半は採炭夫として採炭作業に、その後は仕繰夫として坑内の補修作業に当たったが、とくに騒音に被曝されたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

(五) 同原告は、⑧の期間、杉田工業所に勤務し、日本油脂兵庫工場内で配管工事、製罐の修理作業に従事したが、その間の騒音被曝状況は証拠上明らかでない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告藤本は、約二四年間にわたり、下請工等として一審被告神戸造船所で就労し、主として電気溶接作業に従事した。作業場所は、当初は船台又は定盤であり、その後は製缶工場であった。

(二) 同原告は、⑥の期間、一審被告の下請である野田浜鉄工所の下請に当たる近藤鉄工所に雇われ、一審被告神戸造船所の船台及び定盤で、中ハンマー・ターンバックル・金矢・ジャッキ等を用いて、外板の取付作業に従事した。

当時はまだカシメ作業、ハツリ作業がかなりあり、相当の騒音に曝露された。

(三) 同原告は、⑦の期間、一審被告の下請会社である原初鉄工所に雇われ、同被告神戸造船所構内で、最初は亜鉛の溶解釜の修繕、船のエンジンガーダーの溶接作業をし、次いで製缶工場で煙突の溶接のほか、他の組立・ハツリ・溝ほりの作業も同時にした。

周辺ではニューマチックハンマーによるハツリの騒音等が大きく響いていた。

同原告は、一審被告の職制の指示であちこちの電気溶接作業に従事した。

(四) 同原告は、⑨の期間は一審被告の下請会社である宇津原鉄工所に雇われ、主に同被告神戸造船所の製缶工場で船のタービンケーシングの電気溶接、⑩の期間は同じく下請会社である三神合同に雇われ、同造船所の定盤や船台でブロックの電気溶接作業に従事した。

昭和三〇年代にはニューマチックハンマーによるコーキングの音、中ハンマーの打撃音がし、相当の騒音がしていた。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和四〇年前後ころに耳栓の支給を受け、装着するようにしていたが、作業のために耳栓のひもが切れたりするなどして装着できないこともあった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告藤本は、昭和四二、三年ころ(四七、八歳ころ)から、他人から耳の遠いことを指摘されるようになり、昭和四六、七年ころ(五一、二歳ころ)からは耳鳴りが始まり、苦しんでいるが、退職前には労働組合の役員をしていたこともあり、これらの役職がつとまらないということはなかった。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年五月二〇日(五七歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右三三dB、左三八dB、語音最高明瞭度が右六〇%、左六七%であり、障害等級は、障害等級表における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

3 同原告の聴力については、(イ)昭和五二年三月九日(五六歳)、(ロ)同月一八日(五七歳)、(ハ)同年四月七日(同)、以上関西労災病院でなされた各検査結果(オージオグラム三枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、右31.7〜35.0dB、左37.5〜40.0dBとなっている。また、聴力像を見ると、低音域が残って高音域が落ちてはいるが、二〇〇〇Hzと四〇〇〇Hzの低下の度合いに差がない。左耳は四〇〇〇Hzの方が二〇〇〇Hzよりもよい。気導・骨導差、左右差はほとんどない。

一方、語音最高明瞭度は、(イ)右六〇%、左七〇%(以上八〇dB)、(ロ)左右とも六五%(右六〇dB、左八〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「二〇〇〇Hzと四〇〇〇Hzの聴力低下に差がないのは、騒音性難聴であることを完全に否定することはできないとしても、疑問が残る症例であり、明瞭度には騒音性難聴であることを否定する要素はない。」旨述べており、当審証人岡本途也は、「感音難聴であることは間違いなく診断できるが、(イ)のオージオグラムでは左耳で四〇〇〇Hzの方が二〇〇〇Hzよりも良く、(ロ)(ハ)のそれでも右両損失値が接近しており、このようなことは騒音性難聴ではまず起こらず、非常に稀なことと思う。」旨証言し、騒音性難聴に疑問を呈している。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告藤本の聴力像は、二〇〇〇Hzと四〇〇〇Hzの低下に差がなく、騒音性難聴であるとみるには疑問がないではないが、同原告が一審被告神戸造船所構内で通算約二四年間就労し、その間船台や製缶工場等で主として電気溶接作業に従事し、カシメやハツリ等の強度の騒音を含め相当の騒音に被曝されていること、同原告には一審被告神戸造船所に入構する以前に逸見鉄工所及び海軍工廠で通算約四年間ある程度の騒音を受けているから、その影響は無視できないが、その騒音は同被告神戸造船所構内のそれより激しいものではなかったこと、同人の聴力低下には加齢要素による部分が含まれていることは否定できないが、他の耳の疾患によるものとは認められないことなどを総合して考えると、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

一審原告藤本の行っていた溶接作業は、総論においてみたように一審被告が溶接長と溶接時間を決め、これを下請工が達成するといった形態で行われ、他の作業に比べると、下請会社の裁量権が若干はあったようであるが、それでも基本的には同被告の職制の指揮監督の下に置かれていたのである。

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、同原告は、⑥⑦⑨⑩の各期間、いずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告藤本の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告藤本の各中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によれば、同原告は、昭和二八年原初鉄工所を退職後、宇津原鉄工所に就職するまで少なくとも六か月間、同被告神戸造船所構内を離脱しているが、右離脱は比較的短期間であることからすると、右退職以前の損害賠償請求権につき、少なくとも不法行為に関しては、独立して消滅時効は進行しないものと解するのが相当である。

また、同原告は、昭和三二年一〇月宇津原鉄工所を退職し、同年一一月三神合同に入社しているが、これは総論で認定したとおり右鉄工所の一審被告神戸造船所構内における部門が新会社である三神合同に継承されたもので、実質的には前後同一性があるというべきであるから、右退職以前の損害賠償請求権につき、独立して消滅時効が進行することはないものと解すべきである。

したがって、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

一審原告藤本の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)逸見鉄工所及び海軍工廠における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(五七歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は8.9dB(六分法)前後である。

そして、同原告が、一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、同被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は六割程度と認めるのが相当である。

なお、一審被告は、同原告が同被告神戸造船所の騒音状況を知悉しながら、原初鉄工所、宇津原鉄工所に入社して敢えて危険に接近したと主張するが、前記認定のとおり同原告が聴力低下を認識したのが右各入社後の昭和四二、三年ころであることからすると、この点を慰謝料の算定にあたって考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一二〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一二万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔5〕(一−五)一審原告田中太重

一経歴及び騒音被曝状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四一年一二月二六日出生

①大正一四年〜昭和九年七月 農業

但し、右期間中、②昭和五年一月〜同六年六月

兵役(岡山歩兵第一〇連隊)

③昭和九年七月〜同二〇年八月

一審被告臨時工、次いで昭和九年一〇月以降本工(同被告神戸造船所構内)

④昭和二〇年八月〜同二五年七月

農業

⑤昭和二五年七月〜同二七年一二月

⑥昭和二八年七月〜同二九年一月

⑦昭和三〇年七月〜同三二年一〇月

以上いずれも金川造船(一審被告神戸造船所構内)

⑧昭和三二年一一月〜同三四年八月

⑨昭和三五年一一月〜同五〇年四月

以上いずれも三神合同(右同)

⑩昭和五〇年四月〜同五一年三月

豊起工業(右同)

⑪昭和五一年四月〜同五二年三月

豊起工業(右同)

⑫昭和五三年九月〜

宇津原鉄工所(一審被告神戸造船所構外)

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 一審原告田中は、①④の各期間、兵役期間を除き農業に従事したが、騒音に曝されたことはなかった。

(二) 同原告は、②の約一年余りの期間、兵役に就いたが、具体的な騒音被曝状況については証拠上明らかでない。

(三) 同原告は、⑫の期間、一審被告神戸造船所構外でアルバイトとして稼働したが、騒音被曝状況は判然としない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告田中は、戦前③の約一一年弱の間、一審被告に雇われ、同被告神戸造船所構内で終始穴明工として潜水艦の建造に当たり、船台上の艦内等でエアドリルを用いて、鋼板にリベット(鋲)を打ち込むための穴明け作業に従事した。穴明けの際には金属性の切削音、エアの噴出音が大きく、先端に取り付けられた錐の切れ味が悪くなると特に音が増大した。

当時、潜水艦はまだリベット構造で、戦時体制下その増産が急がれ、人海戦術で建造を行っており、また作業場所が狭いため、穴明作業と鉸鋲(カシメ)、コーキング作業はほぼ同時間帯に同一場所で行われており、穴明工は一際大きな鉸鋲、コーキング作業音にも曝される状況であった。特に潜水艦は外板と耐圧殻の二重構造になっているため、外板と耐圧殻との間における作業が多く、内部での作業音は反響により、船台周辺や外側での作業に比べ数段高い状態であった。当時はまだ耳栓も開発されておらず、綿やボロ布等を耳に詰めたりして保護していた。しかも戦時中のことでもあり、残業や徹夜作業も多く作業者は作業に追われる状態であって、労働時間においても、労働密度においても、苛酷な条件下にあった。

(二) 同原告は、戦後も⑤ないし⑨の各期間は一審被告の下請企業である金川造船、それを承継した三神合同に雇われ、⑩の期間は三神合同の下請である豊起工業に雇われ、全期間を通し一貫して穴明工として稼働した。その作業内容は、エアドリル・電気ドリル・エアグラインダーを用いて鋼材の穴明け・皿取り・仕上げ等をする作業であった。

前記⑤⑥の各期間の作業場所は、船台及びその周辺、L型クレーン下、建造船の外側等であるが、船台上での作業は必ずしも多くはなかった。⑥の時期には造船部鉄工場鉄工係に応援に行き、橋梁・鉄塔等の穴明けに従事することもあった。

戦後は商船の建造に替わり、騒音環境は戦時中ほどではなかったが、それでもまだリベット構造船の時代を脱していなかったため、船台及びその周辺では一際騒音の大きい鉸鋲、コーキングが行われ、相当高度の騒音があった。また、L型クレーン下も船台ほどではないにしても、かなりの騒音があった。

(三) 同原告は、⑦の時期は、鉄構課F棟、G棟等でエアドリル、時には電気ドリルを用いて、鉄塔や橋梁用鋼材のボルト締め用の穴明作業に従事し、その他溶接こぶのハツリやグラインダーを用いての仕上作業に従事した。

この時期には、鉄構関係の接合は、鉸鋲からボルト締めに替わりつつあった時代であり、ボルト締めの場合には鉸鋲、コーキングがないから同じ穴明作業でも周辺音が少ないのであるが、この時期はなお鉸鋲による接合も残っており、他にハツリ作業もあった関係で、ある程度の騒音があった。

(四) 同原告は、昭和三八年ころからは船穀課内業のB棟、D棟等において穴明け作業に従事した。

(五) 同原告は、金川造船に在職中、ボーシンから作業の指図を受けたが、一審被告の本工も作業の監督をしていた。

(六) 同原告は、⑪の期間一か月に七日程度豊起工業に雇われ、一審被告神戸造船所構内で作業の手伝いをした。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和三三年ころから耳栓の支給を受け、これを装着するようになった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告田中は、戦後間もないころ実姉らから耳が少し遠いと言われたことがあり、昭和二五年ころ(四二歳ころ)に既に同僚らから耳が少し遠いのではないかと指摘されたりすることもあったところ、同原告自身も昭和三〇年過ぎ(四七歳ころ)、ことに同三五年ころ(五二歳ころ)には人の話声が聞き取りにくくなったことに気付いた。同原告本人の認識としては、その後も症状が増悪していると考えている。昭和四九年には補聴器を購入した。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年一月二一日(六八歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が左右とも五三dB、語音最高明瞭度が右五二%、左五七%であり、障害等級は、障害等級表における九級の六の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 同原告の聴力検査結果としては、昭和五一年八月一一日(六七歳)西診療所でなされたもの(オージオグラム一枚)が存在するにすぎないが、その平均純音聴力損失値は、右57.5dB、左52.5dBとなっている。また、聴力像を見ると、低音域の聴力は比較的良く、一〇〇〇Hzに五〇〜五五dBの損失があり、高音域になるにつれて徐々に低下しており、左耳は、五〇〇〜四〇〇〇Hzまでの低下の度合いがそれぞれ五dB間隔となっていて、水平型に近い形をしている。気導・骨導差は、それほどない。

一方、語音最高明瞭度は、労災認定の結果と比べ、右八〇%、左八五%(以上九〇dB)とかなり良くなっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「右耳は、騒音性難聴の聴力像を示すものとみることが可能であるが、左耳のパターンは、騒音性難聴では比較的少ないものである。騒音性難聴ではこのような明瞭度はあり得ない。全体として騒音性難聴とみることもできるが、他方、明瞭度の値からみると、騒音性難聴とみるには疑問が残る。」旨述べており、当審証人岡本途也も、右同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告田中の聴力像は、明瞭度の値の上からは疑問が残り、左耳のパターンもやや特異な型をしてはいるが、全体として騒音性難聴とみて妨げないものである。同原告は、昭和九年七月から通算して約三三年間、一審被告神戸造船所構内で穴明工として働いていたものであり、そのうち戦前・戦中の約一一年間は潜水艦の建造に当たり、鉸鋲やコーキング等の強度の騒音に曝されており、戦後も途中少しずつ途切れることもあったが穴明作業に従事し、当初のうちは右同様の騒音に曝されている。騒音作業に従事した期間は戦後の方が長期であるが、受けた騒音レベルそのものは戦前のものが相当大であると認められ、戦前における騒音で既にある程度の聴力低下をきたしていたところ、戦後の騒音被爆によって一層進行したものとみるのが相当である。そして、また、聴力低下の進行過程等に照らすと、戦前の騒音作業によってもたらされた部分が相当大きいものがあるというべきである。

以上のほかに、同原告の聴力低下には加齢要素による部分も含まれることは否定できないが、他の耳の疾患によるものとは認められないことなどを総合して考えると、同原告の聴力損失と一審被告神戸造船所における騒音被爆との間には相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告田中は、③の期間は一審被告臨時工、本工として、⑤ないし⑩の各期間はいずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告田中の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告田中の各中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、一審原告田中は、昭和二〇年八月一審被告を退職し、その後金川造船に入社するまで約五年間、同被告神戸造船所構内を離脱していたこと、同原告は、遅くとも昭和三五年ころには聴力低下を認識していたことが認められる。右認定のように職場離脱期間が長期に及んだ場合には、右退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、独立して進行するものと解するのが相当であるところ、債務不履行については右退職時の昭和二〇年八月から、不法行為については加害者及び損害を知った昭和三五年ころからそれぞれ起算して本訴の提起(昭和五二年一一月一日)までに時効期間が満了したことは明らかであるから、右請求権は既に時効により消滅したものというべきである。

なお、前記認定事実によると、同原告は、戦後一審被告神戸造船所に入構後⑤〜⑩の各期間金川造船、三神合同、豊起工業と勤務先を変えているが、同被告神戸造船所構内を離脱していた期間は最長一年六か月以下の比較的短期間であるから、総論で検討したとおり、少なくとも不法行為に関しては、以上の期間につき全体として一個の行為として評価し、右各退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、各別に進行しないものと解するのが相当である。

したがって、昭和二〇年八月退職以前の損害賠償請求権に限り、時効の抗弁は理由がある。

六損害

1 慰謝料

一審原告田中の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)時効により消滅した昭和二〇年八月以前の騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六八歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は21.5dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は三割程度と認めるのが相当である。

なお、同原告は、前記認定のとおり、昭和九年七月から同三四年ころまで通算して十数年間、同被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを知悉しており、しかも遅くとも昭和三五年ころまでには聴力低下を認識しているから、同年一一月三神合同に、さらに同五〇年四月豊起工業に就職して同被告神戸造船所構内で就労を続けたことは、敢えて聴力低下の危険に接近したものとして、同原告の慰謝料の算定にあたって考慮するのが相当である。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金八〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金八万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔6〕 (一―六)承継前一審原告亡佐々木次郎

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正四年九月二六日出生

①昭和三年四月〜同五年

パン屋の職人

②昭和五年〜同七年

牧場における牧夫

③昭和七年〜同九年一〇月

家業の茶店の手伝い

④昭和九年一〇月〜同二〇年九月

川崎重工業本工

但し、右期間中

⑤昭和一一年六月〜同年七月

兵役(輜重兵特務兵)

⑥昭和一一年八月〜同一三年四月

兵役(輜重兵一一連隊)

⑦昭和一四年五月〜同一七年二月

兵役(三四師団衛生隊)

⑧昭和二三年〜同二五年

川崎重工業臨時工

⑨昭和二五年〜同三〇ないし三一年

桑畠興業(川崎重工業下請)

⑩昭和三一年三月〜同三五年六月

神和工業(当時の社名富士産業)(一審被告神戸造船所構内)

⑪昭和三五年七月〜同三六年一月

桑畠興業(川崎重工業下請)

⑫昭和三六年一月〜同五〇年一二月

三協工業(株)(一審被告神戸造船所構内)

⑬昭和五二年三月〜同年一〇月

(有)近畿工業所(右同)

⑭昭和五三年七月〜同五五年一二月

野村病院

昭和六〇年六月二六日死亡

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 亡佐々木は、①②③の各期間、パン屋の職人等として稼働したが、その間騒音に曝されたことはなかった。

(二) 亡佐々木は、④の期間(但し、兵役期間を除く。)、川崎重工業で、最初約半年間揚重工として運搬作業に従事し、その後電気溶接工として稼働したが、その作業場所は、兵役前の一年八か月は主に製缶工場・銅工場・船台等であり、兵役後の約二年八か月間は主に銅工場であった。

当時、川崎重工業では、造船技術水準の関係もあって、船台その他では鉸鋲、コーキング等が行われ、また、特にその後半は戦時下ということもあって、軍用船を中心に船舶の建造が急がれ、実働時間が延長されたうえ、残業等も多いという状況にあり、相当の騒音に被曝されたものと推認される。また耳栓の着用は行われていなかった。

(三) 亡佐々木は、⑤の期間、輜重兵特務兵、⑥の期間、輜重兵第一一連隊、⑦の期間、第三四師団衛生隊の一員としてそれぞれ入隊し、いずれも中支に派遣され、前二者の場合は糧秣・弾薬等の輸送に当たり、後者の場合は戦傷者収用作業に従事し、その後パラチフスで一時野戦病院に入院したが、兵役期間中における具体的な騒音被曝状況については証拠上明らかでない。

(四) 亡佐々木は、⑧の期間、川崎重工業構内で主として修繕船の溶接作業に従事した。当時は米軍の艦船を対象とする溶接作業がほとんどで、リベット作業はほとんどなく、ハツリ作業もそんなに多くなかった。

(五) 亡佐々木は、⑨の期間のうち通算して約二年余りの間、川崎重工業構内において船台・組立場・定盤等を転々として溶接作業に従事した。

この時期には、川崎重工業構内のほか、佐久間ダム工事、高槻市におけるガスタンク組立等の作業にも従事したが、佐久間ダムの建設工事では送水管の溶接作業に携わった。また、約六か月間、宇津原鉄工を通じて一審被告神戸造船所構内で働いたこともある。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡佐々木は、⑩の約四年余り、一審被告の下請会社である富士産業、合併後は同じく下請会社である神和工業に勤務し、同被告神戸造船所構内の船台・組立場・内業課等で電気溶接作業に従事した。

電気溶接作業自体の音はそれほどでもないが、船台ブロック組立場では鉸鋲、ニューマチックハンマーによるハツリの音、手ハンマーによる打撃音が入り混じり、また、内業課では隣の撓鉄工場のニューマチックハンマーによるピーニングの音、ハツリの音などが聞こえ、相当の騒音がしていた。

作業は、一審被告の職制の指示で行われ、使用機械も、最初は下請会社のものも一部あったが、その後はほとんど全部同被告所有の機械を使用して作業が行われた。

(二) 亡佐々木は、⑫の約一五年間、一審被告の下請会社である三協工業に勤め、同被告神戸造船所構内で電気溶接工として稼働し、船台・ブロック組立場・船穀屋内工場等で溶接作業に従事した。

もっとも、昭和三八、九年からは目を悪くして、船台での仕事は少なくなり、さらに昭和四四、五年ころからは隅肉溶接といわれる作業に従事することが多くなった。

また、船台等においては当初は鉸鋲とこれに基づく騒音があり、溶接が多くなってからはハツリ等による騒音があった。ハツリもチッピングハンマーからアークエアガウジングに変わっていったが、ある程度の騒音はあった。

(三) 亡佐々木は、⑬の期間、一審被告の下請会社である近畿工業所に勤務し、同被告神戸造船所構内で修繕船の掃除作業に従事した。

その間における具体的な騒音被曝状況は証拠上詳らかでない。

4 耳栓の支給・装着状況

亡佐々木は、昭和三七年ころ耳栓の支給を受けて装着していた。代わりの耳栓は、請求してもなかなか支給してもらえなかった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡佐々木は、昭和三七、八年ころ(四七、八歳ころ)又は同四〇年ころ(五〇歳ころ)から、家族や他人から聴力低下を指摘されるようになり、同四四年ころ(五四歳ころ)からは他人の話が聞きにくくなり、同四七、八年ころ(五七、八歳ころ)からは他人と正面から向かい合わないと話が聞き取れないようになった。

なお、亡佐々木は、昭和四二年に中耳炎にかかり、神戸市内の耳鼻科で左耳の治療を受けたことがあるが、その原因は明らかでない。

2 亡佐々木は、昭和五二年一月二一日(六一歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右四一dB、左四二dB、語音最高明瞭度が右八二%、左七二%であり、障害等級は、障害等級表における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

3 亡佐々木の聴力については、(イ)昭和五一年八月三日(語音最高明瞭度につき同月一〇日、六〇歳)西診療所、(ロ)同年一〇月二七日(六一歳)、(ハ)同年一一月九日(同)、(ニ)同月一六日(同)、(ホ)同月三〇日(同)、以上関西労災病院でそれぞれなされた各聴力検査結果(オージオグラム五枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所では右46.7dB、左43.3dB、関西労災病院では右39.2〜42.5dB、左41.7〜42.5dBとなっている。また、聴力像を見ると、五〇〇Hzまではほとんど聴力低下がなく、一〇〇〇Hz以上では五〇dB前後低下しており、一〇〇〇Hz、二〇〇〇Hzも四〇〇〇Hz、八〇〇〇Hzとさほど変わらぬ低下であって、すなわち一〇〇〇Hzから八〇〇〇Hzまでがほぼ水平となっている。気導・骨導差については一〇〇〇Hzに一貫してあるが、せいぜい二〇dBまでであり、その他の音域ではそんなにない。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所((イ))では左右とも九〇%(右七〇dB、左八〇dB)、関西労災病院((ロ)(ハ)(ニ))では右八〇〜八五%(八〇又は一〇〇dB)、左七〇〜七五%(八〇dB)になっている。(イ)の明瞭度は、一〇〇〇Hzの純音損失値が四五dBである点からすると、極めて良好である。

4 亡佐々木の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「パターンがほぼ水平になっており、騒音性難聴の聴力像とみるには疑問が大きい。気導・骨導差は全体として感音難聴とみる妨げになる程のものではない。しかし、純音損失値との関係で、あまりにも明瞭度が良すぎるので、この点からみても騒音性難聴とみるには疑問がある。」旨述べており、当審証人岡本途也は、「四〇〇〇Hzが多少低下しているにしても、一〇〇〇Hz以上がほぼ水平に低下している形は騒音性難聴、感音難聴として非常に珍しく、また、労災認定のデーターでも明瞭度が良すぎるので、測定値に問題があるのではないかという気がする。職業性難聴であることを否定はしないが、一〇〇〇Hzの所で気導・骨導差があることから考えると、別個の疾患が合併していると考えざるを得ない。」旨証言している。

三因果関係

前記認定の事実によると、亡佐々木の聴力像は、一〇〇〇Hz以上の聴力がほぼ水平に低下しており、そのパターンからみて、また、明瞭度が良すぎる点からみて、騒音性難聴とみるには疑問がないではないが、別個の疾患が合併しているとみれば、騒音性難聴とみうる余地がある。

亡佐々木は、戦後昭和三一年三月から同五二年一〇月まで途中約半年間ほどを除いて、通算約二一年余り一審被告神戸造船所構内で稼働し、その間二〇年近くはもっぱら電気溶接作業に従事しており、その間、溶接作業自体の騒音だけでなく、船台その他の作業場所で、鋲接その他種々にわたる騒音に被曝されている。

亡佐々木は、一審被告神戸造船所に入構する以前川崎重工業構内でも戦前・戦中・戦後を通じ約一〇年余り稼働し、当時はまだ鉸鋲等の騒音作業が行われていた時期であり、一審被告神戸造船所構内での就労期間と比べると、短いが、当時の造船所作業の実態から考えると、かなりの騒音被曝を受けたことは否定し難い。

なお、亡佐々木は、中耳炎で左耳の治療を受けている。

以上を総合して考えると、亡佐々木の聴力損失は、川崎重工業構内における騒音被曝が大きく寄与しているだけでなく、騒音性難聴以外の耳の疾患という要因も否定し難いとしても、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、亡佐々木は、⑩⑫⑬の各期間、いずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同人に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は亡佐々木に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、亡佐々木の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同人に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、亡佐々木の中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、亡佐々木は、昭和三五年六月神和工業を退職し、その後三協工業に雇用されるまで約六か月間、同被告神戸造船所構内を離脱していたが、その離脱が比較的短期間であるから、右退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、総論で検討したとおり、少なくとも不法行為については、独立して進行しないものと解するのが相当である。

したがって、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

亡佐々木の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)他職場(川崎重工業構内)における騒音被爆による聴力低下分、(二)伝音難聴による聴力低下分、(三)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六一歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は16.3dB前後(六分法)である。

そして、亡佐々木が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同人の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同人の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は四割程度と認めるのが相当である。

なお、亡佐々木は、以前に約四年余り一審被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを知りながら、昭和三六年一月三協工業に入り、再び神戸造船所構内で就労しているが、前記認定のとおり、右の時点では聴力低下を全く認識していないことに徴すると、右事情をもって聴力低下の危険に接近したものとして、同人の慰謝料の算定にあたって考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた亡佐々木の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同人の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金八〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金八万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

七相続

以上によれば、亡佐々木は一審被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき金八八万円の損害賠償請求債権を有し、昭和六〇年六月二六日死亡したところ、弁論の全趣旨によれば、一審原告佐々木萬亀子が同六二年一二月二四日成立の遺産分割協議により右請求債権を相続したことが認められる。

〔7〕 (一―七)一審原告中野眞一

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四五年一月二〇日出生

①昭和三年四月〜同八年五月

河野建築工務店

②昭和八年六月〜同一八年三月

建築請負業自営

③昭和一八年四月〜同二三年八月

内海造船所

④昭和二三年八月〜同三〇年七月

久住嘉平(川崎重工業下請)

⑤昭和三一年二月〜同三二年六月

野田浜鉄工所(一審被告神戸造船所構内)

⑥昭和三二年七月〜同年九月

一審被告日雇い(右同)

⑦昭和三二年一〇月〜同三七年五月

一審被告臨時工(右同)

⑧昭和三七年六月〜同四四年四月

一審被告本工(右同)

⑨昭和四四年六月〜同五一年七月

三神合同(右同)

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 一審原告中野は、①の期間、河野建築工務店に勤め、木造の大工仕事に携わり、次いで②の期間、建築請負業を自営したが、その間格別の騒音を受けたことは認められない。

(二) 同原告は、その後③の期間、内海造船所に取付工として稼働し、さらに④の期間、久住嘉平のもとでほとんど建築の仕事をしたが、特に騒音に被曝されたことを認めるに足りる証拠はない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告中野は、一審被告神戸造船所において通算約二〇年間稼働しているが、そのうち⑤の約一年五か月間は、撓鉄工として、主に鉄工場A棟(現F棟)、B棟(現G棟)、A棟東側のクレーン下等で型鋼の整理作業(罫書しガス切断された型鋼を仕分け、玉掛職に搬出先を指示し、玉掛を手伝ったりする作業)や型鋼のガス切断面に付着したかすを取る作業に従事した。

型鋼の整理作業自体は騒音はないが、かすを取る作業はハンマーで叩くので相当の音がした。

(二) 同原告は、⑥⑦⑧の各期間、撓鉄S棟あるいはL型クレーン下(屋外)で、主に型鋼の整理作業、配材作業に従事したほか曲げ加工及び歪取りの作業にも携わった。また、時々罫書の先手をつとめたこともある。

右の曲げ加工及び歪取り作業は、手持ハンマー・ニューマチックハンマー・グラインダー等を使用するので、それ自体相当の騒音を発していた。また、罫書も、大半はマーキングペンが用いられ、その場合は音が出ないが、ポンチングによる場合は、片手ハンマーでタガネを叩いて部材に番線やブロック名等を刻印するため、かなりの打撃音があった。

もっとも、総論で認定したとおり、昭和三五、六年ころ鋼材が黒皮材からショット材に変わり、墨等による罫書の文字が消えにくくなったため、亜鉛鍍金を施す少量の鋼材を除いて、ポンチングは次第に行われなくなった。

S棟では他にプレスや線状加熱法による曲げ加工、仕上作業による騒音、クレーンから鋼材を下ろす際の接触音等があり、L型クレーン下でもガス切断作業やブロック組立作業(位置決めのためハンマーを使用することがある。)等による騒音があって、右作業場所は、全体としてある程度の騒音があった。

(三) 同原告は、昭和四一年八月ころ型鋼に関する作業が新設された旧R棟(現A棟)に移ったのに伴い、以後は旧R棟で主として型鋼の罫書作業に従事し、配材作業等も手伝うようになった。罫書は墨等を用いる方法が多かったが、ポンチングによる罫書も少量行われた。

旧R棟では、他にビームベンダーやフレームベンダーの機械音として、さほど大きくはない回転音等があり、また、定盤での曲げ加工作業に伴う騒音として、ジャッキ締めの際のハンマーによる打撃音やガスバーナーの噴射音もあった。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和三七年六月に本工となってから耳栓の支給を受けて使用していたが、長時間使用すると耳が痛くなり、それ以上の使用は無理であった。耳栓は、昭和四三年ころに旧型により遮音効果のある新型のものと取り替えられた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告中野は、一審被告神戸造船所で就労するようになって後、徐々に聴力の低下を意識するようになったが、昭和四〇年ころ(五四歳ころ)には他人の話声がその人と向かい合った時でも聞き取りにくくなった。

2 同原告は、昭和五二年一月二一日(六五歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右八五dB、左三八dB、語音最高明瞭度が右〇%、左八〇%であり、障害等級は、障害等級表における九級の七(一耳の聴力を全く失ったもの)である。

3 同原告の聴力については、(イ)昭和四〇年五月七日(五三歳)一審被告衛生課、(ロ)同年一〇月二九日(同)、(ハ)同年一二月一七日(同)、以上三菱神戸病院、(ニ)同四三年二月六日(五六歳)、(ホ)同四四年三月三日(五七歳)、以上一審被告衛生課、(ヘ)同五一年八月二〇日(六四歳)西診療所、(ト)同年一〇月一七日(六四歳、語音最高明瞭度は同月二七日測定)、(チ)同年一一月一六日(六四歳)、(リ)同月三〇日(同)、以上関西労災病院でそれぞれなされた各検査結果(オージオグラム九枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、衛生課((イ)(ニ)(ホ))では右64.2〜66.7dB、左24.2〜29.2dB、三菱神戸病院((ロ)(ハ))では右67.5dB、65.8dB、左35.8dB、25.0dB、西診療所((ヘ))では右76.7dB、左39.2dB、関西労災病院((ト)(チ)(リ))では右スケールアウト(但し、(リ)のみ81.7dB)、左38.3〜39.2dBとなっている。聴力像をみると、それぞれ異なった形をしているが、いずれも左右差が極めて大きく、左耳は、二〇〇〇Hzにディップがみられ、二〇〇〇Hz、四〇〇〇Hzの聴力低下に比べて八〇〇〇Hzの聴力が極端に良くなっている。右耳は、聴力が左耳よりも大幅に低下し、そのうえ極端な気導・骨導差を有している。

他方、語音最高明瞭度は、西診療所((ヘ))では右〇%、左九五%(九〇dB)、関西労災病院((ト)(チ))では右いずれも〇%、左八五%、七五%(以上一〇〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「騒音性難聴では三五〇〇Hz以下の低音域にディップを生じることはなく、また、八〇〇〇Hzの聴力がこれほどまでに良い結果がでることも起こりえず、左右差、気導・骨導差からみても、同原告の聴力像を騒音性難聴とみる余地はない。」と述べており、当審証人岡本途也も、右と同旨の証言をしている。

5 同原告は、その時期は判然としないが、右耳の中耳炎を患い、治療したが、昭和五一年一〇月関西労災病院の検査の結果、右耳鼓膜に穿孔が認められ、側頭骨X線にて右耳乳様蜂巣に硬化像があり、右慢性穿孔性中耳炎を認められている。なお、同病院は、同原告の症例につき、「右耳は混合性難聴、左耳は感音性難聴と認める。病歴、騒音環境下作業、聴力像より右耳は慢性中耳炎による伝音性難聴もあるが、右耳の聴力像より考えて騒音性難聴も考えられる。」旨コメントしている。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告中野の聴力像は、左右差が極めて大きく、左右個々のパターンからみても、騒音性難聴のパターンとは全く異なっており、とくに右耳は、左耳に比し、聴力が著しく低く、騒音性難聴とは認め難い。

右の点に加えて、同原告は、関西労災病院で右耳鼓膜穿孔、右慢性穿孔性中耳炎を認められており、右耳の聴力像に照らし、右耳の聴力障害の原因が中耳炎であることが確実視されることを合わせ考えると、同原告は、昭和三一年二月から通算約二〇年間一審被告神戸造船所で就労し、その間前半約一〇年間は撓鉄工として騒音作業に従事し、相当の騒音曝露を受けたものと認められるけれども、同原告の聴力損失と同被告神戸造船所における騒音被曝との相当因果関係を肯認するに足りないというべきである。

四結語

そうすると、一審原告中野の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔8〕 (一―八)承継前一審原告亡横矢役太

一作業歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四〇年五月二三日出生

①大正九年四月〜昭和三年

農業手伝い

②昭和三年四月〜同一五年五月

川崎重工製鈑工場(現在の川崎製鉄葺合工場)

③昭和一五年六月〜同年一〇月

一審被告臨時工(同被告神戸造船所構内)

④昭和一五年一〇月〜同三八年五月三一日

一審被告本工(昭和三七年六月一日以降は特別嘱託)(右同)

⑤昭和三八年六月〜同五〇年四月

三神合同(株)(右同)

昭和六〇年一月一五日死亡

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 亡横矢は、①の八年間、農業の手伝いをしたが、騒音に曝されたことはなかった。

(二) 亡横矢は、②の約一二年間、川崎重工製鈑工場で、主として鉄板ローラーに押し込んだりする圧延作業に従事した。圧延作業の際はローラーやモーターの回転音、夏場は扇風機の音があり、鉄板が床に落下する時、鉄板をローラーからはがす時に大きな音がしたが、会話の声はうっすらと聞こえた。当時、同人は耳栓を支給されていなかった。

圧延機の騒音レベルとしては八五〜一二〇ホン、製鉄所全体のそれとしては七二〜一二二ホンなる測定結果が存し、また、金属の圧延、ロール加工作業の聴力損失程度について被検者四〇五名中、四五dB以上2.5%、三〇〜四五dB8.8%、一五〜三〇dB30.2%なる資料が存する。亡横矢自身は一審被告神戸造船所構内の騒音より低いと認識しているが、相当程度の騒音に被曝されていたことは、否定できない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡横矢は、昭和一五年六月から同二二年ころまで造船部鉄工場(後に造船工作課)の鉄機械工場(後の山型工場)D棟で、鉄機械工として稼働した。その作業内容は、主に(イ)ジンブルによる山型鋼材の歪取り作業で、(ロ)丸鋸による山型鋼材・H型鋼材の切断、(ハ)マークレスポンチ、一号ポンス等による鋼材の穴明け作業がこれに次ぎ、(ニ)水圧アングルカッターによる鋼材の切断等の作業は少なかった。戦時中は残業や徹夜勤務を強いられた。

ジンブル自体は、ギアのかみ合う音、モーターの音がする程度で、造船所構内の他の騒音に比べると、さほど大きな音ではないが、昭和五三年八月当時におけるジンブルの空転音は「大きい音―国電の中ぐらいの音」とされている。

丸鋸(高速回転による摩擦熱によって山型鋼材等を切断する工具)は、段取り時間を除くと、交代でほとんど一日中使用されていたが、切断中はカシメよりもかなり甲高い金属音がし、他にモーターの音、鉄板が落下するときに発する音もあった。しかし、丸鋸は、戦後ほとんど使用されなくなり、代わって通称「電気鋸」と呼ばれる装置が導入されたが、その騒音程度は丸鋸よりも低いものであった。

なお、右電気鋸と同一であるかどうかは疑問の余地があるが、昭和五三年発行の三分間教育資料では、電気丸鋸は八五ホン以上の騒音発生機工具の一つとして挙げられている。

マークレスポンチ、一号ポンスは、ギアのかみ合う音、モーターの音が主たるもので、そう高い騒音は出ないが、打抜機の騒音程度は一一七〜八〇ホンであるとの全造船関係の調査結果の資料があり、アングルカッターの騒音は多少低目であるが、いずれも騒音作業である。

当時の周辺の作業音としては、鉄砲によるハツリの音、ハンマーによる水道鉄管の歪直しの音等があり、騒音程度は相当のものであったが、戦後は仕事量が減じたため騒音もある程度減少したと思われる。

(二) 亡横矢は、昭和二二年ころから同二八年ころまで鉄機械工場B棟で、四人がかりで大台切(紙の裁断機のように鉄板を押し切る機械、昭和二七年ころ廃棄)を用いて鉄板の切断作業を行った。大台切自体は、ギアのかみ合う音がする程度であるが、鉄板が切断される時及び切断された鉄板が約一メートルの落差のある受け台に落下する時にはかなりの騒音を発した(もっとも、二、三回に分けて切断される場合は鉄板の先端が先に受け台に着いているためその騒音は幾分小さい。)。

周辺音として、シカル盤による面取り、小台切(大台切を小型化した切断機)による切断、ポンスによる穴明け等の作業騒音があったが、シカル盤はいわば鉄のカンナであり、相当の騒音があった。

(三) 亡横矢は、昭和二八年(一〇月二日以前)ころから、鉄機械工場D棟、F棟で、ジンブルによる型鋼の歪取り作業に従事し、昭和二九年ころ新しく導入された新型のジンブルが造船部造船工作課(後に造船工作部船穀課)S棟に設置されるに伴い、S棟に移り、そこで昭和四一年ころまで右ジンブルによる型鋼の歪取り作業及び一五〇トン水圧プレスによるスカラップ抜き(型鋼の縁に、小判型の切り込みを入れる作業)等の作業に従事した。しかし、スカラップ抜きは、昭和三〇年代の後半にはガス切断によって行われるようになったため、それ以降はもっぱらジンブル作業に専従した。

右新型のジンブルは従前のものより騒音の程度は若干軽減されたが、やはり騒音があり、スカラップ抜きは打ち抜く時に腹に響くような音がするが、金属音ではなかった。

周辺作業として、型鋼の歪取り、曲げ加工及び小組立、整理等が行われ、ジャッキ締めのためのハンマー打ち、ポンチング、ガス切断、トンボ等による騒音がしていた。亡横矢は、次第に工法の変更により騒音が軽減されたものの、また、ジンブルの所在するS棟の開口部付近で作業をしていたが、なお比較的高度の騒音の近くにいた。

(四) 亡横矢は、昭和三八年六月からは一審被告の下請会社である三神合同に勤務し、同被告の作業長の指揮下でジンブル作業に当たっていたが、同四一年ころ一審被告の工場配置・作業配置によりジンブルが新設された造船工作部船穀課(後に内業課)R棟(現A棟)に移動するに伴い、ジンブル作業専従の同人もR棟に移り、そこで同五〇年四月まで主にジンブルによる鋼材の歪取り作業に従事した。また、まれにグラインダー掛けもしたようである。

周辺では型鋼のマーキング、曲げ加工、歪取り、小組立等が行われており、R棟は他の工場から独立した型鋼専門の工場であって、他の工場に比すると騒音の程度は低いようであるが、昭和五二年七月一審被告が行った騒音の測定結果として、現A棟は80.5ホン、85.6ホン、91.2ホンとするものが存する。

なお、亡横矢は、ジンブル作業については一審被告本工時代から長期間主にこれに従事し、経験者であったため、三神合同に勤務するようになってからも一審被告の職制から具体的に指示監督を受ける必要はなかった。

4 耳栓の支給・装着状況

亡横矢は、昭和二七、八年ころ耳栓の支給を受け、これを着用していたが、数時間もすると耳が痛くなるため、ちり紙で代用したこともあり、十分使用できなかったようである。その後昭和三三年ころ、前よりも装着感の良い新しい型の耳栓の支給を受け、これを常用してきた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡横矢は、昭和二三年ころ(四一歳ころ)妻から耳が少し遠いと言われ、昭和三三年ころ(五一歳ころ)には自分でもかなり耳が悪くなったと感じた。同人は、時期は定かでないが(本人は昭和二七、八年ころとも三七、八年ころとも供述している。)、在職中に聴力検査を受け、少し耳が遠くなっていると指摘された。そして昭和三〇年代の後半には左耳が耳鳴りし、補聴器を使用するようになった。

なお、同人は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 亡横矢は、労災認定手続において、平均純音聴力損失値が右四二dB、左五〇dB、語音最高明瞭度が右六〇%、左六二%と測定されたが、昭和五二年一月二一日障害等級は非該当とされた。

3 亡横矢の聴力については、(イ)昭和五一年一二月一日(六九歳)、(ロ)同月一五日(同)、(ハ)同年一二月二四日(同)、以上関西労災病院でなされた各検査結果(オージオグラム三枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は右43.3〜41.7dB、左50.8dB、語音最高明瞭度((イ)(ロ)のみ)は右五五%、六五%、左五五%(以上八〇dB)、七〇%(一〇〇dB)である。また、聴力像は、五〇〇Hzまでは左右とも残存しているが、一〇〇〇Hzで右が二五〜三〇dBであるのに左が五〇dBまで低下し、左右差がある。そして、二〇〇〇Hz以上は五五又は六〇dBから八〇dB前後まで漸次低下しており、C5ディップがつぶれ八〇〇〇Hzの聴力がさらに低下した形になっている。気導・骨導差は問題とすべき程のものではない。

4 亡横矢の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「オージオグラムは、騒音性難聴の典型的な聴力像を示していると思われ、明瞭度の点からみても、騒音性難聴の聴力像とみてよいであろう。」と述べており、当審証人岡本途也は、「一〇〇〇Hzの聴力に左右差があるのに、明瞭度が差がないのはちょっと引っ掛かるけれども、まず騒音性難聴とみて問題はないだろうと思う。騒音性難聴であったのに、左耳に何らかの難聴の原因が加わった可能性があり得ると思う。」旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、亡横矢の聴力像は、一〇〇〇Hzで左右差があるが、いわゆるC5ディップがつぶれた典型的な騒音性難聴のパターンを示しており、騒音性難聴とみて妨げないところ、同人は、一審被告神戸造船所構内で約三五年間就労し、その間相当の騒音の被曝を受けていること、同人は、同被告造船所に入構する以前に川崎重工製鈑工場で就労しているが、同工場の騒音の程度は同被告造船所よりは低かったと思われること、同人の聴力低下には加齢要素による部分が含まれていることを否定できないが、他の耳の疾患によるものとは認められないことなどを総合して考えると、亡横矢の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、亡横矢は、③④の各期間はいずれも一審被告の臨時工ないし本工として、⑤の期間は下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同人に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は亡横矢に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、亡横矢の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同人に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って、消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、亡横矢の中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、亡横矢は、昭和三八年五月三一日同被告を退職しているが、その翌六月には三神合同に入社して引き続き同被告神戸造船所構内で就労しており、職場離脱期間はほとんどないから、総論で検討したとおり、右退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、少なくとも不法行為については、独立して進行しないものと解するのが相当である。

したがって、右時効の主張も理由がない。

六損害

1 慰謝料

亡横矢の慰謝料を算定するにあたっては、前記聴力検査結果(関西労災病院における聴力損失値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)他職場(川崎重工製鈑工場)における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、前記聴力検査時(六九歳)と同年齢における加齢に基づく日本人の平均的聴力損失値は21.5dB(六分法)前後である。

そして、亡横矢が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同人の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同人の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は五割程度と認めるのが相当である。

なお、前記認定事実によると、亡横矢は、昭和一五年六月から約二三年間一審被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを十分知悉しており、しかも既に聴力低下を認識しながら、昭和三八年五月一審被告を退職したのに、翌六月には三神合同に入社して再び同造船所で就労しているが、右事情は敢えて騒音性難聴の進行の危険に接近したものとして、同人の慰謝料の算定にあたって考慮するのが相当である。

以上の点に、〈証拠〉に現れた亡横矢の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により亡横矢の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一〇万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

七相続

以上によれば、亡横矢は一審被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき金一一〇万円の損害賠償請求権を有し、昭和六〇年一月一五日死亡したところ、弁論の全趣旨によれば、一審原告横矢シマノが同六二年一一月二〇日成立の遺産分割協議により右請求債権を相続したことが認められる。

〔9〕 (一―九)承継前一審原告亡圖師一雄

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四二年五月六日出生

①大正一五年四月〜同二〇年五月

汽船会社(甲板員)

②戦後約二、三年間

スナックバー(マネージャー)

③昭和二三年六月〜同二九年一〇月

宮下木材(株)

④昭和三二年六月〜同三四年五月

清水木材(株)

⑤昭和三四年六月ころから数か月

藤原船舶興業臨時工(一審被告神戸造船所構内)

⑥昭和三五年中ころ〜同三八年三月

(株)宮家組(のち(株)宮家興産に改称)臨時工(右同)

⑦昭和三九年初めころ〜同五二年三月

藤原船舶興業臨時工、次いで昭和三九年一一月以降本工(右同)

昭和六二年一月一〇日死亡

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 亡圖師は、①の約一九年間、十数社の汽船会社に甲板員として勤め、デッキの錆落とし・錆打ち・ペンキ塗り等をし、また戦時中は徴用船に乗っていたが、徴用船には機関砲も搭載されていた。

同人がその間どの程度の騒音に曝されたかを認める証拠はない。

ちなみに、一般に船舶の騒音は、小型船舶で機関室九〇〜一〇〇ホン、居住区で七五〜九〇ホン程度で、かなりのものであるが、居住区のものは低周波に勢力があるので、かなりしのぎやすい。但し、船舶内では、勤務外でもいわば二四時間にわたって騒音に曝される結果になることが指摘されている。

(二) 亡圖師は、戦後②の期間、進駐軍経営のスナックバーにマネージャーとして勤めたこともあるが、騒音に曝されたことはなかった。

(三) 亡圖師は、③④の各期間(合わせて約八年間)、宮下木材(株)、次いで清水木材(株)に製材工として勤務し、帯鋸盤による製材作業に従事した。

同人は、その間相当程度の騒音被曝を受けたものと推認される。

ちなみに、帯鋸の騒音は、ある資料では八〇〜一三〇ホンであるとされ、他の資料では最高一〇〇ホンを超え、スペクトルも高周波型であり、騒音によると考えられる聴力低下は騒音被曝者中の70.8%であったとされている。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡圖師は、⑤⑦の各期間は一審被告の下請会社である藤原船舶興業、⑥の期間は同じく下請会社である宮家組に雇用され、⑤⑥の各期間及び⑦の期間のうち昭和四一年八月二日までの合わせて約六年間、同被告神戸造船所構内で主として修繕船の掃除作業に従事した。

ちなみに、同人は、藤原船舶興業時代、途中から中ボーシンになったが、一審被告の作業長の指揮命令の下に現場の責任者として作業員の指導監督に当たるかたわら、自らも従前同様作業をすることに変わりはなかった。

右の作業は、修繕船の各種タンクやビルジウェイ(雨水やごみ等が溜まるように船倉の両舷に設けられた溝)等の掃除、あるいはいわゆる「錆落とし」(水セメントが塗ってある場所の腐食部分や浮いた錆をスケラで削り落とす作業で、掃除作業の一部として掃除屋が行うもの)等が主であった。亡圖師の働いた宮家組及び藤原船舶興業(昭和三七年株式会社に組織替え)は、掃除を主として請負う業者で、塗装はほとんどしていなかったから、塗装の前作業として行われるいわゆる「錆打ち」(外板とかデッキの金属部分等、船体の曝露部分の錆びている部分をスケーリングハンマーで打って錆を取り除き、エアサンダーで仕上げる作業で、塗装作業の一部として塗装屋が行うもの)はあまり行わなかったが、ビルジウェイ等について錆打ちを行うこともあり、同人は前記①の甲板員時代の経験もあって、錆打ちをすることもあった。掃除及び錆落とし自体は、そんなに騒音を発する作業ではなかったが、錆打ちはそれ自体相当の騒音作業であった。

亡圖師の作業は、船底で行われるため、反響による騒音があり、また、修繕のための他の作業との混在による騒音もあった。すなわち、掃除作業はもともと修繕作業の前後に行われるものであり、また危険を避けるため他の作業と同時に行わないようにされてはいたが、それでもなお、他の作業との混在は避けられなかったので、他の作業との混在による騒音があったことは否定し難い。

なお、右の錆打ち用工具は、一審被告が備え付け、これを自前で持っていない宮家組や藤原船舶興業等の業者に使わせていた。

(二) 亡圖師は、昭和四一年八月二日修繕船内の砂除去作業終了後、甲板へ上がる垂直梯子から誤って転落し、右上腕骨骨折・胸部挫傷等の傷害を負うという労災事故に遭遇し、約一年間三菱神戸病院に入院し、その後通院をした(亡圖師は、労災事故が一応治癒してから道具係になるまで、一時、通院しながら従前と同じ作業をしたと供述するが、判然としない。)。

同人は、昭和四四年四月道具係に配置転換され、それ以後は、一審被告神戸造船所構内の南端にある藤原船舶興業の倉庫で、道具の保管・受渡し、工具類の整備点検等の作業に従事したが、右の場所は、工場あるいは現場の騒音と隔絶された閑静な環境下にあり、作業内容も、断片的に発音を伴う半缶製作時の叩き、あるいはブレーカー・サンダーの試運転時のエンジン音以外は強烈な騒音を発する作業はなかった。

4 耳栓の支給・装着状況

亡圖師は、昭和四四年に道具番になってから後に耳栓の支給を受けたが、長い時間着用すると耳に痛みを感じた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡圖師は、昭和三七、八年ころ(五三、四歳ころ)から耳鳴りを覚え耳が悪くなったことを自覚したが、これとほぼ同じ昭和三八年ころ他の者が同人の難聴に気付いており、仲間から「つんぼの圖師」と呼ばれることもあった。

なお、同人は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 亡圖師の聴力像を示す資料としては、(イ)昭和五二年五月六日(六八歳)西診療所で測定された検査結果(オージオグラム一枚)と、(ロ)同年六月一五日、(ハ)同年七月五日、(ニ)同月二二日(以上六八歳)関西労災病院で測定された各検査結果(オージオグラム三枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所((イ))では右65.8dB、左73.3dB、関西労災病院((ロ)(ハ)(ニ))では右51.7〜65.8dB、左54.2〜66.7dBとなっている。また、聴力像をみると、一〇〇〇Hzまでの聴力が四五ないし五五dBも低下しているのに、二〇〇〇Hz、四〇〇〇Hz、八〇〇〇Hzの聴力が五五ないし六〇dBの低下で留まっており、全般的に水平の形をなしている。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所((イ))では右八五%(八〇dB)、左八〇%(九〇dB)、関西労災病院では右五〇〜六〇%(八〇又は一〇〇dB)、左三五〜五〇%(八〇又は九〇dB)となっており、(イ)のデーターでは一〇〇〇Hzの純音損失値が六五dBもある点からみて値が良すぎる。

3 亡圖師の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「騒音性難聴に見られる水平型のパターンとは全く異なり、明瞭度も値が良好過ぎ、騒音性難聴ではない。」旨述べており、当審証人岡本途也も、「騒音性難聴では五〇ないし六〇dBの聴力レベルで水平になることは余り考えられず、騒音性難聴の可能性はうすいと思う。」旨証言している。

三因果関係

前記認定事実によると、亡圖師の聴力像は騒音性難聴のパターンと全く異なる型を示し、その特徴を備えておらず、騒音性難聴とみるのは甚だ疑問であるところ、同人は、昭和三四年六月ころから一審被告神戸造船所構内で就労するようになったが、それからわずか三、四年後の同三七、八年ころには同僚から「つんぼの圖師」などと呼ばれており、早い時期から難聴であったことが明らかであること、しかも、同人が同被告造船所構内で受けた騒音程度は、とくに昭和四四年以降の道具係のときは騒音被曝があったとはいえず、また、それまでの約八年間の作業も修繕船の掃除が主で、そんなに大きな騒音に曝されたものとも認め難いこと、同人は、同被告造船所に入構する以前に約八年間、製材所で相当の騒音作業である製材作業に携わっており、その影響を少なからず受けたものと推認されること、同人の聴力低下には加齢要素も相当部分含まれているものと思われることなどを総合して考えると、同人の聴力損失と同造船所構内の騒音被曝との間に相当因果関係があるとは認めがたいというべきである。

四結語

以上の次第により、承継前一審原告亡圖師の訴訟承継人である一審原告圖師精一郎の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔10〕(一−一一)一審原告高橋一雄

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四三年九月二二日出生

①大正一二年〜昭和一五年

呉服問屋奉公、染色業の行商

②昭和一五年〜同一九年

牛乳販売業

③昭和一九年〜同二〇年八月

兵役(舞鶴海兵団、第二美保航空隊)

④昭和二二年〜同二三年

港湾荷役

⑤昭和二三年〜同二四年

米軍給油所勤務

⑥昭和二四年一〇月〜同二九年六月

一審被告日雇い(同被告神戸造船所構内)

⑦昭和二九年〜同三〇年一二月

松尾鉄工(右同)

⑧昭和三〇年〜同三二年一〇月

金川造船(右同)

⑨昭和三二年一一月〜同三九年九月

三神合同(右同)

⑩昭和三九年一〇月〜同四二年六月

嶋産業(右同)

⑪昭和四二年六月〜同四三年七月

山陽工業(右同)

⑫昭和四四年一月〜同四五年四月

近藤工業所(一審被告神戸造船所構外にある金川造船工場構内)

⑬昭和四五年一〇月〜同四六年一一月

三協鉄工(一審被告神戸造船所構内)

⑭昭和四七年四月ころ〜同四九年八月

神和工業(右同)

⑮昭和四九年一〇月〜同五一年七月

協神工業(一審被告神戸造船所構外にある金川造船工場構内)

2 一審被告神戸造船所構外での作業歴及び騒音被曝状況

(一) 一審原告高橋は、①②の各期間、及び兵役後の④⑤の各期間、それぞれ前記各職業に就いたが、その間とくに騒音に曝されたことはなかった。

(二) 同原告は、③の期間、舞鶴海兵団に入団し、第二美保航空隊に回されたが、その間聴力障害を受けるような騒音に曝露されたことはなく、また、上官から叩かれたことはあるが、耳の部位ではなかった。

(三) 同原告は、⑫⑮の各期間、一審被告神戸造船所構外の金川造船工場内で歪取り作業や取付作業に従事したが、その間騒音に被曝したものと推認される。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告高橋は、少しでも給料の高い働き口を求めて、一審被告の日雇いから、同被告の構内下請である松尾鉄工、金川造船、三神合同、嶋産業、山陽工業、三協鉄工へと転々と勤務先を変えながら、都合二〇年余り同被告神戸造船所で稼働した。

(二) 同原告は、その前半は撓鉄S棟、山型A棟等で、キールベンダーの先手として稼働し、手持ハンマー・ニューマチックハンマー等による曲げ加工作業にも従事した。

キールベンダーの作業自体は、鋼板が曲がる際に音を発する位で、さしたる騒音作業ではないが、ニューマチックハンマー・手持ハンマーの騒音、ことに前者は著しいものであり、また、撓鉄関係の周辺作業は、金属性の打撃音が相互に作用し合い、相当の騒音になっていたものと認められる。

同原告は、一審被告本工の組長の指示を受けて仕事をし、本工の指図によりその補助的な作業に当たった。

(三) 次いで、同原告は、昭和三二年ころからは、鉄工場外業係に転じ、L型クレーン下、東又は西の組立定盤、船台(進水後の甲板等)等で、主としてガスバーナーを用いて歪取りの作業に従事したが、ハンマーを用いる作業に従事したこともあった模様である。

騒音としては、ガスバーナーの噴射音やハンマーによる打撃音等があり、騒音があった。ガスバーナーの騒音程度については前記三分間教育資料が存する。

(四) その後、同原告は、⑬の期間は、鉄構工作課SG棟等で、鉄構関係の歪取り作業に従事し、⑭の期間は、内業課E棟等で歪取り作業を行ったが、その使用工具、騒音程度は、ほぼ前記(三)と同様である。

4 耳栓の支給・装着状況

一審原告高橋は、昭和三五年ころ三神合同から耳栓の支給を受けたのを初め、その後嶋産業、山陽工業、神和工業等からも耳栓の支給を受け、作業の際はこれを装着していた。耳栓は、作業の途中に外れることもあったが、その場で直ちに装着し直すことができないこともあり、また耳栓を紛失し代わりを請求しても、在庫がなく直ぐ支給されないこともあった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告高橋は、昭和三〇年過ぎ(四四、五歳)ころ耳が悪いことに気付き、同三二年(四六、七歳)ころには妻の声も聞き取りにくくなり、その後聴力がだんだん悪化し、左耳は全くと言っていいほど、また、右耳も余り聞こえなくなった。他の同僚も、比較的早い時期に同原告の聴力低下の認識を持っていた。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年五月二〇日(六六歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右五九dB、左九〇dB、語音最高明瞭度が右六五%、左〇%であり、障害等級は七級の二の二(一耳の聴力を全く失い、他耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 同原告の聴力像を示すデーターとしては、(イ)昭和五二年四月六日及び(ロ)同月二〇日(以上六六歳)関西労災病院で測定された各検査結果(オージオグラム二枚)が存在するにすぎない。

その平均純音聴力損失値は、右(イ)58.3dB、(ロ)60.8dB、左いずれもスケールアウトになっている。また、聴力像はほぼ高音漸傾型を示し、気導・骨導差もほとんどないが、左耳は、全音域にわたってスケールアウトしており、左右両耳の聴力差が極めて顕著である。

一方、語音最高明瞭度も、左右差があり、右耳は(イ)六〇%(八〇dB)、(ロ)七〇%(一〇〇dB)であるが、左耳はいずれも〇%(以上一〇〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「聴力像、明瞭度いずれからみても、明らかな左右差があるうえ、左耳の傷害の程度が異常に重いことから判断すると、騒音性難聴というには大きな疑問が残り、とくに左耳は騒音性難聴ではまずあり得ず、他の何らかの特別の要因によるものと考えられる。」旨述べており、当審証人岡本途也も、「左耳は全く騒音性難聴とは関係ないが、右耳についてはC5ディップが認められるので騒音性難聴の可能性はあると思う。」旨、右とほぼ同旨の証言をしている。

三因果関係

一審原告高橋の聴力像は、極めて顕著な左右差があるうえ、左耳の異常に重い障害の程度等に照らすと、左耳については、その聴力障害が騒音性難聴であるか否か不明であるというほかない。

しかしながら、右耳についてはその聴力像からみて騒音性難聴とみて妨げなく、かつ、同原告の一審被告神戸造船所構内における騒音被曝歴は長期にわたっており、他にさしたる原因も認めがたいので、右耳の聴力損失は、加齢要素も多分に含まれていると考えられるものの、一審被告神戸造船所構内における騒音によって生じた騒音性難聴であると認むべきである(もっとも、前記一の金川造船工場構内の騒音による影響もないとはいえないが、その被曝期間は比較的短い。)。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告高橋は、⑥の期間は一審被告の日雇いとして、⑦ないし⑪及び⑬⑭の各期間はいずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告高橋の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 次に、一審被告は、一審原告高橋の各中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によれば、一審原告高橋は、昭和二九年六月一審被告、同三〇年一二月松尾鉄工、同三九年九月三神合同、同四二年六月嶋産業をそれぞれ退職し、その後昭和四三年七月山陽工業を退職後、三協鉄工に就職するまで約二年二か月間、さらに昭和四六年一一月三協鉄工を退職し、神和工業に就職するまで約四か月間、それぞれ同被告神戸造船所構内を離脱しているが、そのうち一審被告から山陽工業に至るまではほとんど継続して同被告神戸造船所構内で就労しており、その後の退職による右構内離脱期間も比較的短いから、各退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、総論で検討したとおり、少なくとも不法行為については、各別に独立して進行しないものと解するのが相当であり、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

一審原告高橋の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院における右耳の聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)他職場(金川造船工場)における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、右労災認定時(六六歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は21.5dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右聴力低下分を控除すれば、同原告の右耳の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は六割程度と認めるのが相当である。

なお、前記認定事実によると、同原告は、以前に約五年以上一審被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを知りながら、昭和三〇年金川造船、昭和三九年一〇月嶋産業、同四二年六月山陽工業、同四五年一〇月三協鉄工、同四七年四月ころ神和工業にそれぞれ就職し、再三にわたり同被告神戸造船所構内で就労しているが、同原告は昭和三〇年過ぎには聴力低下を認識していたから、右各就職は、聴力低下の危険を認識しながら敢えてその危険に接近したものといわざるを得ず、したがって右事情を同原告の慰謝料の算定にあたって考慮するのが相当である。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金五〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金五万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔11〕(一−一二)一審原告松田次郎作

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正五年八月二四日出生

①昭和三年四月〜同一五年

電灯配線工事、農業、埋立土木工事等に従事

②昭和一五年〜同一六年五月

日本製粉精米所

③昭和一六年八月〜同一九年ころ

一審被告神戸造船所徴用工、次いで臨時工(同被告神戸造船所構内)

④昭和二〇年一月〜同年八月

鉄道工事に従事

⑤昭和二一年一月〜同五〇年一〇月

一審被告神戸造船所本工、昭和四七年五月以降雇用延長、昭和四九年一一月以降再雇用(嘱託)延長(同被告神戸造船所構内)

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 一審原告松田は、①の期間、前記各仕事に従事したが、騒音に曝されたことはなかった。

(二) 同原告は、②の期間、日本製粉精米所において、精米機から出てくる米を俵で受ける作業をしていたが、ある程度の騒音に曝された模様である。

(三) 同原告は、④の期間、鹿児島において鉄道工事に従事したが、騒音被曝を受けたことを認める証拠はない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告松田は、③の期間、一審被告徴用工、次いで臨時工として、同被告神戸造船所の撓鉄S棟において板撓鉄と呼ばれる外板の曲げ加工等の作業に従事した。作業は三、四人が一組になり、同原告はその先手をつとめた。この時点では、バーナーで加熱した鉄板のハンマー打撃による加工やピーニングによる修正も非常に多く、かなりの騒音があった。当時は残業もかなりあった。

(二) 同原告は、⑤の期間、一審被告本工として同被告神戸造船所で就労したが、そのうち昭和二一年一月から同三二年九月ころまでは、撓鉄S棟において型撓鉄と呼ばれる型鋼(アングル又はフレーム)の曲げ加工作業に従事した。右の作業は、型鋼を炉で焼いてスキーザー(横押しプレス)で押し曲げ、最後に歪取りをする作業であるが、同原告は、主として押し曲げ等の際に型鋼を固定するため四貫ハンマー・鼓ハンマーでジャッキを打ち込む作業に従事した。

右作業の際、ハンマーによる打撃音に曝された。

型鋼の曲げ加工の周辺では、当初は同じS棟内に板撓鉄の作業場があり、その騒音があったが、昭和二八年末ころには板撓鉄の作業場が旧内業A棟(現内業F棟)に移設された。

また、型撓鉄の工法において、プレス等の改良により、ハンマー等を用い、ジャッキやピンで型鋼を固定する作業は減少した。さらに、船舶建造法が溶接工法に変わるに伴い、型鋼面をハンマーで仕上げる作業も減じていった。

(三) 同原告は、玉掛職の不足のため昭和三二年九月ころクレーン下の玉掛工に変わり、造船工作部船穀課内業係の揚重班クレーン下係に属し、B棟(現G棟)、M棟(現E棟)、L型クレーン下等で玉掛や運搬作業に従事するようになった。B棟ではフレームプレーナーや三本ローラーによる切断・曲げ加工作業が、M棟では小組立を主体にした作業が、L型クレーン下ではガス切断作業が行われ、各作業に伴う騒音がしており、中でもクレーンの音、フレームプレーナーの音、ブラケットをパレットに放り込む音、小組立のハンマーの音等がしていた。

隣のA棟(現F棟)からはピーニングの音(昭和三六年ころから徐々に無くなった。)、C棟(現H棟)からは溶接やハツリの音が聞こえ、従前よりは騒音は小さいと言われるが、それでも騒音が存した。

(四) 同原告は、その後昭和三九年三月ころからは、B棟においてフレームプレーナー専属の玉掛作業に従事し、次いで同四二年ころからはフレームプレーナーの操作をするようになり、昭和四四年ガス溶接工に職種替え後も同様の作業を続けた。フレームプレーナーの音自体はそんなに大きな騒音ではなかったが、周辺では小組立の騒音もしていた。

(五) 同原告は、更に昭和四五年ころから約二年間、胃かいようの治療のため休業し、昭和四七年ころ職場復帰後はC棟(旧U棟)、G棟(旧B棟)等でフレームプレーナーやEPMの油さし等の軽作業に従事した。

(六) ちなみに、昭和五〇年三月の一審被告による騒音測定結果によると、G棟は最低八六ホン、最高九六ホン(昭和四八年一二月測定の中央値は86.5ホン)となっている。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和三二年ころ耳栓の支給を受け、これを着用していたが、耳栓が耳に合わないとか耳が痛むことはなく、防音の効果を得ていた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告松田は、③の期間、一時的な耳鳴りを覚えたことはあったが、昭和四〇年ころ(四九歳ころ)相手の会話の声が聞き取りにくくなり、昭和四八年ころ(五七歳ころ)自宅に設置した電話のベルが全く聞こえず耳が少し悪いことに気付き、昭和五〇年一〇月(五九歳)の退職後耳が悪いことを明確に自覚した。

なお、同人は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年五月二〇日(六〇歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右四二dB、左五七dB、語音最高明瞭度が右六七%、左四五%であり、障害等級は、障害等級表における九級の六の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 同原告の聴力については、(イ)昭和四〇年五月五日(四八歳)、(ロ)同四一年(四九歳)、(ハ)同四三年二月五日(五一歳)、(ニ)同四四年二月二六日(五二歳)、(ホ)同四七年二月一二日(五五歳)、(ヘ)同五二年二月一五日(六〇歳)、以上一審被告衛生課、(ト)同年三月一六日(同)、(チ)同年四月六日(同)、以上関西労災病院でそれぞれなされた各検査結果(オージオグラム八枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、衛生課では右34.2〜41.7dB、左50.0〜60.0dB、関西労災病院では右(ト)(チ)とも42.5dB、左(ト)57.5dB、(チ)56.7dBとなっている。次に聴力像を見るに、衛生課では骨導聴力が検査されておらず、(ロ)には右耳の聴力値はない。いずれも低音域が残って高音域が低下し、高音漸傾型を示しており、初期のものには左耳にC5ディップもみられる。しかし、(ト)(チ)のデーターでは一〇〇〇Hzの聴力に左右とも気導・骨導差が著しく、また、データー全般を通して聴力の変化を見ると、右耳はほとんど動いていないのに対し、左耳は激しく変動している。

一方、語音最高明瞭度は、(ト)右七〇%(八〇dB)、左五〇%(一〇〇dB)、(チ)右六五%(八〇dB)、左四〇%(一〇〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「騒音性難聴の聴力像とみることができるし、明瞭度からみても、それを否定する要素はない。しかし、(ト)(チ)の一〇〇〇Hzの気導・骨導差、全般にわたる左耳の聴力の変動からすると、騒音性難聴以外の要因も考えなければならない。」旨述べており、当審証人岡本途也も、右同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定の事実によると、原告松田の聴力像は、高音漸傾型を示しており、両耳とも騒音性難聴とみて妨げないものであるところ、同原告は、一審被告神戸造船所構内で戦前約二年余り、戦後約二九年九か月間就労し、その間とくに戦前及び戦後昭和二一年一月から同三二年九月ころまで撓鉄工として鋼材の曲げ加工作業等に従事し、相当の騒音に曝露されていること、同原告は同被告神戸造船所に入構する以前に精米所で稼働し騒音に曝されているが、その被曝期間が短く程度も比較的低いこと、同原告の聴力低下には加齢要素による部分が含まれていることは否定できないが、他に耳の疾患は見当たらないことなどを総合して考えると、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところ前記認定の事実を合わせると、一審原告松田は、③の期間は一審被告徴用工、臨時工として、⑤の期間は同被告本工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、同被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告松田の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告松田の中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によれば、一審原告松田は、昭和一九年ころ一審被告を退職し、その後同被告に再就職するまで一年余り同被告神戸造船所構内を離脱しているが、その離脱期間が比較的短いから、総論で検討したとおり、右退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、少なくとも不法行為に関しては、独立して進行しないと解するのが相当であり、したがって、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

一審原告松田の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)他職場(精米所)における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられるところ、総論で認定のとおり、労災認定時(六〇歳)の年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は16.3dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は七割程度と認めるのが相当である。

なお、前記認定事実によると、同原告は、以前に約二年余り一審被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを知りながら、昭和二一年一月同被告に入社し、再び同造船所で就労しているが、その時点では聴力低下を全く認識していないことに徴すると、右事情をもって聴力低下の危険を認識しながら敢えてその危険に接近したものとして、同原告の慰謝料の算定にあたって考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金二〇〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金二〇万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔12〕(一−一三)一審原告井村正一

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正六年二月二〇日出生

①昭和六年四月〜同一二年一二月

③昭和一七年二月〜同二〇年三月

⑤昭和二〇年九月〜同三〇年一一月

いずれも松帆鉄工所(一審原告井村の家業)

②昭和一三年一月〜同一七年二月

④昭和二〇年三月〜同年九月

いずれも兵役(歩兵砲中隊)

⑥昭和三一年一月〜同年七月

金川造船(一審被告神戸造船所構内)

⑦昭和三一年七月〜同三六年一一月

一審被告臨時工(右同)

⑧昭和三六年一二月〜同五〇年一〇月

一審被告本工(但し、昭和四七年一一月一日以降は雇用延長及び嘱託)(右同)

⑨昭和五〇年一一月〜同年一二月

増田産業(株)(右同)

⑩昭和五一年二月ころ〜

三宮ビル管理(株)(ガードマン)

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 一審原告井村は、①③⑤の各期間を通算して約二〇年間、家業である松帆鉄工所で働いたが、同所では木造船の金物の製造、鋤・鍬・釜等の製造・修理、「いりこ」を煎じる缶(かま)の製造等のため、鉄を熱してハンマーで叩くことが中心であり、また、鋲やアングル材を叩くこともあった。

松帆鉄工所では、同原告とその父のほかに常時一、二名を雇って作業していた。

鉄工所の騒音に関する調査結果として、製鈑作業その他の作業、鍛治作業従事者に騒音性難聴が見られた旨の報告がある。

(二) 同原告は、②④の各期間、二回にわたり兵役に就き、歩兵砲中隊に属した。特に②の期間は、満州及び中支に赴き、中支では三回実戦を経験しており、具体的な騒音被曝状況を認める証拠はないが、銃や砲の騒音に曝されたと思われる。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告井村は、昭和三一年ころから同三六年ころまで、当初は一審被告の下請である金川造船に雇われ、その後は同被告の臨時工、本工として、船穀課S棟内の型撓鉄の作業場において、型鋼の曲げ加工及びそれに伴う歪取り等の作業に従事した。

同原告の周辺では、ハンマーによるジャッキ打撃の音その他の音があり、部材をトンボするときに発する音、プレスやジンブルの音等があった。

(二) 同原告は、昭和三六年ころから同四〇年ころまで船穀課A棟(現F棟)及びB棟(現G棟)で、外板加工の機械撓鉄に属し、主として穴明け・皿取りの作業に従事するかたわら、プレスによる板曲げの先手の作業にも携わった。

穴明けの作業には錐を取り付けた電気ボール盤を用いるが、錐はことに切れ味が悪くなると騒音を発した。このため、時々(一日少なくとも一時間程度)船台下にある錐研ぎ場へ錐を研ぎに赴いたが、その際船台の近くを通るため、同所の騒音にも曝されることがあった。

周辺では、穴明け作業のほか、ローラーやプレスによる曲げ加工作業、定盤での線状加熱法による仕上作業がなされており、また、時々トンボが行われ、これらの騒音がしていた。当時はピーニングに替わって線状加熱法が全面的に採用され、職制からピーニングは用いないように指導されていたが、同原告は夜勤の折りに一回ピーニングをしたことがあった。

隣のM棟(現E棟)との間には隔壁はなく、同棟からの騒音が響いてきた。

(三) 同原告は、昭和四〇年ころ再び型撓鉄に戻り、当初はS棟で、昭和四一年一〇月ころから同五〇年一〇月までは、新しくできたR棟(現A棟)で、主として四〇トンプレスによる曲げ加工、ガスバーナーによる仕上げ、アングルの水抜き穴の穴明け等の作業に従事した。

なお、R棟は、他の工場と仕切られた型鋼専門の独立工場であり、他の工場と比べ騒音は低い。

同原告は、⑨の期間一審被告の下請である増田産業に雇われ、同被告神戸造船所構内でスクラップ整理に従事したが、騒音にはほとんど曝されなかった。

(五) ちなみに、一審被告が昭和五二年七月内業課で行った騒音測定によると、現G棟(旧B棟)では85.7〜89.8ホン、現F棟(旧A棟)では89.7〜94.6ホン、現A棟(旧R棟)では80.5〜91.2ホン、課内平均では89.8ホン(前回平均89.8ホン)という結果が得られている。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和三三年(四〇、四一歳)ころ耳栓の支給を受け、ほとんど常時着用していたが、外れたり、夏など耳がただれたりしたために着用しないことも時々あった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告井村は、昭和三六年ころ(四四歳ころ)に耳がガンガン響くような感じがした。その後昭和三九年ころ(四七歳ころ)妻や同僚からも耳が悪いと指摘され、聴力の低下を自覚するようになった。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年八月三一日(六〇歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右三五dB、左三八dB、語音最高明瞭度が右八二%、左七五%であり、障害等級は障害等級表における一一級の三の三(両耳の聴力が一メートル以上の距離では小声を解することができない程度になったもの)である。

3 同原告の聴力については、(イ)昭和四三年二月六日(五〇歳)、(ロ)同四四年二月二六日(五二歳)、(ハ)同四六年三月一日(五四歳)、以上一審被告衛生課(オージオグラム三枚)と、(ニ)同五二年四月一日(六〇歳)西診療所(オージオグラム一枚)、(ホ)同年六月一五日(六〇歳)、(ヘ)同年七月五日(同)、以上関西労災病院(オージオグラム二枚)でそれぞれ測定された各検査結果が存在する。

その平均純音聴力損失値は、衛生課では右39.2dB((イ)(ロ))、75.8dB((ハ))、左39.2〜44.2dB、西診療所では右50.8dB、左41.7dB、関西労災病院では右35.0dB、36.7dB、左36.7dB、39.2dBとなっている。また、聴力像は、いずれもほぼ高音漸傾型を示し、気導・骨導差、左右差もそれほど大きくはない。ただ、(ハ)だけが右耳の聴力が著明に低下し、他と異なっているが、(ニ)では左右差がないので、一過性の聴力低下と考えられる。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所では左右とも九五%(九〇dB)、関西労災病院では右(ホ)七五%(六〇dB)、(ヘ)九〇%(一〇〇dB)、左(ホ)(ヘ)とも七五%(八〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「明瞭度の値はやや良すぎるが、オージオグラムのパターンから見ると、騒音性難聴の可能性は否定できない。」旨述べており、当審証人岡本途也は、「(イ)及び(ヘ)のデーターを見れば、騒音性難聴を否定できないと思う。」旨証言している。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告井村の聴力像は、高音漸傾型を示し、騒音性難聴の特徴に合致しており、騒音性難聴と認められるところ、同原告は、昭和三一年一月から通算約二〇年間一審被告神戸造船所構内で就労し、その間ほぼ一貫して撓鉄工として曲げ加工・歪取り・穴明け・仕上げ等の作業に従事し、相当の騒音に被曝されていること、同原告は、同被告神戸造船所に入構する以前、家業の松帆鉄工所で鍛冶作業に従事し、騒音に曝されているが、その期間、程度はそれほどでないと思われること、同原告の聴力低下には加齢要素による部分が含まれていることは否定できないが、他の耳の疾患によるものとは認められないことなどを総合して考えると、同原告の聴力損失と一審被告神戸造船所における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告井村は、⑥⑨の期間はいずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として、⑦⑧の期間は一審被告の臨時工、本工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告井村の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告井村の中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、一審原告井村は昭和三一年七月金川造船を退職しているが、同月直ぐ一審被告に入社し、引き続き同被告神戸造船所構内で就労しているから、総論で検討したとおり、右退職以前の損害賠償請求権につき、少なくとも不法行為については、独立して消滅時効は進行しないものと解するのが相当である。

したがって、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

一審原告井村の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)他職場(松帆鉄工所)における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六〇歳)と同年齢における日本人の平均的聴力損失値は16.3dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は六割程度と認めるのが相当である。

なお、一審被告は、同原告は同被告神戸造船所が騒音職場であることを熟知しながら、昭和三一年七月同被告に入社し、危険に接近したと主張するが、前記認定のとおり、同原告が同被告に入社した右時点では聴力低下を全く認識していないことに徴すると、聴力低下の危険を認識しながら敢えて右危険に接近したものとは認め難く、これを慰謝料の算定にあたって考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告が受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一〇万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔13〕(一−一四)承継前一審原告亡西垣兀

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡西垣の経歴

大正五年八月二五日出生

①昭和六年四月〜同七年三月ころ

ゴム工場(裁断工)

②昭和一〇年ころ〜同一四年

帝国酸素(株)(ガス溶接工見習)

③昭和一四年一二月〜同一七年一二月

兵役(衛生兵)

④昭和一八年〜同一九年

浪速ドック(川崎重工製鈑工場の構内下請)(営繕工)

⑤昭和一九年五月〜同二〇年八月

兵役(陸軍軍属)

⑥昭和二一年四月〜同二四年七月

昭和製作所(溶接工)

⑦昭和二四年八月〜同年一一月

金川造船(株)(一審被告神戸造船所構内)

⑧昭和二四年一二月〜同二五年六月

一審被告臨時工(右同)

⑨昭和二五年六月〜同五〇年一〇月

一審被告本工(但し、昭和四七年五月以降は雇用延長、嘱託)(右同)

⑩昭和五一年八月ころ約一〇日間

宇津原鉄工所(一審被告神戸造船所構外)

昭和五八年一二月九日死亡

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 亡西垣は、①の約一年間、ゴム工場で裁断工として働いたが、その間の騒音被曝を認める証拠はない。

(二) 次いで、亡西垣は、②の約五年間、帝国酸素(株)に勤務し、主として同社の工場(鉄工所)でガス溶接及びガス切断の作業に従事したが、同工場では四〇人位の従業員が溶接・ガス切断等の作業をしており、騒音もあったと思われる。

(三) 亡西垣は、③の約三年間、篠山連隊に入隊し、衛生兵として務め、その後⑤の約一年余り、陸軍軍属としてシンガポールに派遣され、終戦間際に短期間溶接作業をし、また、ボルネオでは病院勤務をしたが、その間の騒音被曝を認める証拠はない。

(四) 亡西垣は、④の約一年余り、川崎重工製鈑工場の下請会社である浪速ドックに営繕工として勤務し、作業場所は一定しなかったが、格別高音を発するような職場ではなかった。

(五) 亡西垣は、戦後⑥の約三年間、昭和製作所の製缶工場で洗濯機等のガス溶接作業に従事したが、同工場ではハンマー打ち等の作業があり、騒音を受けたものと推認される。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡西垣は、⑦の約四か月間、一審被告の下請会社である金川造船に勤務し、同被告神戸造船所構内の船台でガス切断作業、あるいは現図場建物の解体作業(同建物建替えのため鋲をガスでばらす仕事)に携わり、それらの騒音に曝された。

(二) 亡西垣は、⑧の期間及びその後昭和二九年一二月まで合わせて丸五年間、一審被告の臨時工、本工として、同被告神戸造船所構内の船台でガス切断作業に従事した。当時の造船界においては、鉸鋲から溶接に移り変わる時期であり、また亡西垣の属した取付のグループは工程面上、鉸鋲とは離れていたようであるが、それでも当時の船台はカシメ、ハツリ、取付のハンマー作業等が行われ、相当高度の騒音に曝されていた。

(三) 亡西垣は、昭和二九年一二月から同三二年七月まで溶接研究所において、ガス切断機を用いて、技師の指示によりテストピースの切断その他の作業に従事した。

同所ではガス切断作業のほか、電気溶接の実習も行われていた。

なお、同所は、耳栓着用場所に指定されていたが、養成工等に対する教育的配慮もあったようである。

(四) 亡西垣は、昭和三二年八月から同五〇年一〇月退職するまで約一八年余り、造船工作部鉄構課(後に鉄構部鉄構工作課と改称)で鉄管・橋梁・鉄塔用の鋼材を切断するガス切断作業に従事した。そのうち、最初の約一一年間は、ガス切断の専門工場である鉄構課D棟で、主としてIKやウイゼルを使用して、時には手切り用のガス切断機を用いて当該作業に当たったが、右作業の騒音はそれほど大したものではなかった。同原告の作業場所にはガス定盤・フレームプレーナー・エッジプレーナーがあったが、それほど大きな騒音は出ておらず、少し離れてプレスやローラーがあった。

東隣の船穀課C棟にはモノポールガス切断機が設置され、溶接作業等が行われており、他方、西隣の鉄機械工場E棟には水圧アングルカッター・ポンス・ジンブル・電気鋸等が置かれ、アングル材の穴明け、切断作業が行われていて、騒音があったが、中でもポンスの打ち抜くときのガチャンという音が耳についた。

なお、当時、D棟から間に二棟以上離れたK棟、G棟及び屋外の組立場では、鉄塔のアングル材の組み合わせ部分や大型鉄管の内面溶接肉盛り部分のハツリ作業が鉄砲を用いて行われ、大きな騒音を発していた。

(五) 次いで亡西垣は、昭和四三年七月ころから約一年九か月間、鉄構工作課SF棟で働いたが、機械設備や作業内容はD棟のときとほぼ変わらなかった。

東隣の船穀課E棟は小物部材の組立作業が行われ、溶接、ガス切断、ガスバーナーによる歪取り作業が中心であったが、格別の騒音はなかった。当時、アングル鉄塔からMC鉄塔に変わったこと、鉄管の内面溶接肉盛りを削る機械ができたこと、グラインダーの使用が拡大されたことなどにより、ハツリ作業は大幅に減り、わずかに屋外の組立場で行われる程度であった。

(六) さらに同原告は、昭和四五年三月ころ主に水圧鉄管を製造する鋼管工場SC棟に移り、そこで約五年八か月間働いた。同棟では、東の方でガス切断作業、中央部で曲げ加工作業、西の方で組立・溶接作業がそれぞれ行われていた。同原告の作業場所付近にはガス定盤とフレームプレーナー、NCガス切断機が設置されていたが、その騒音はIKや手切りガス切断機のそれとほとんど変わらず、また、SC棟の東端は開口部になっており、それほどの騒音はなかった。

北隣のSB棟、SC棟の東の方ではいずれもガス切断作業が行われていた。なお、ハツリ作業は前記のとおりほとんどなく、ごくまれにSC棟の西の端で行われるにすぎなかった。

4 耳栓の支給・装着状況

亡西垣は、昭和二九年ころに陶製のような比較的材質の固い耳栓の支給を受け、後にはゴム製のような耳栓の支給を受けて、できるだけこれらを着用したが、一日中着用していると耳がかゆくなったり、しびれたりするようなことがあった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡西垣は、昭和四〇年ころ(四八、九歳)から聴力の低下を意識するようになった。

なお、同人は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 亡西垣は、昭和五二年八月三一日(六一歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右三六dB、左四二dB、語音最高明瞭度が右六七%、左六五%であり、障害等級は、障害等級表における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

3 亡西垣の聴力については、(イ)昭和四〇年六月九日(四八歳)、(ロ)同四三年二月一六日(五一歳)、(ハ)同四四年二月二四日(五二歳)、(ニ)同五二年三月七日(六〇歳)、以上一審被告衛生課、(ホ)同年五月一七日(同)、(ヘ)同年六月九日(同)、(ト)同月二四日(同)、以上関西労災病院でそれぞれなされた各聴力検査結果(オージオグラム七枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、衛生課では右が(イ)〜(ハ)39.2〜43.3dB、(ニ)47.5dB、左が(イ)〜(ハ)左37.5〜40.8dB、(ニ)50.0dB、関西労災病院では右35.8〜38.3dB、左41.7〜43.3dBになっている。また、聴力像を見ると、骨導聴力が測定されている関西労災病院の(ホ)〜(ト)によれば気導・骨導差がなく、そのパターンは、低音域が残存して高音域が急墜しており、高音漸傾型を示している。もっとも、亡西垣の聴力損失値は、(イ)〜(ハ)は変動が小さく、(ニ)は(イ)〜(ハ)より相当悪化しているが、(ホ)〜(ト)ではより損失値の小さい結果が得られている。

他方、語音最高明瞭度(関西労災病院の(ホ)(ヘ))は、右七〇%(八〇dB)、六五%(六〇dB)、左七〇%(一〇〇dB)、六〇%(八〇dB)となっている。

4 亡西垣の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「(ホ)〜(ト)のデーターでは気導・骨導差がなく感音難聴と認められ、騒音性難聴のパターンの一つとみても矛盾はない。労災認定値の明瞭度は、(イ)〜(ニ)のオージオグラムと照らして考えると、騒音性難聴とみても矛盾のない数値である。なお、昭和四〇年には既に症状が固定し、それ以降進行していないと考えられる。」旨述べており、当審証人岡本途也も、右同旨の証言をしている。

5 ちなみに、亡西垣は、昭和四〇年一月に一審被告が実施した聴力検査の際、家族に耳が悪い者がいる旨申告した。

三因果関係

前記認定事実によると、亡西垣の聴力像は、高音漸傾型で気導・骨導差もなく、騒音性難聴の特徴に合致しており、騒音性難聴とみて妨げないところ、同人は、昭和二四年八月から通算約二六年余り一審被告神戸造船所構内で就労し、その間溶接工として船台・鉄構工作課工場等でもっぱらガス切断作業に従事し、相当の騒音に曝露されたものと認められること、同被告神戸造船所に入構する以前にも都合九年余り他の騒音職場で稼働し、騒音に曝されていることもうかがわれるが、同被告神戸造船所における騒音と比べるとそれ程のものではないと思われること、同人の聴力低下には加齢要素による部分の含まれることは否定できないが、他の耳の疾患によるものとは認められないことなどを総合して考えると、同人の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、亡西垣は、⑦の期間は下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として、⑧⑨の各期間は一審被告臨時工、本工としてそれぞれ労務を提供したものであるから、同被告は、同人に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は亡西垣ないしその承継人に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、亡西垣の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同人ないしその承継人に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 次に一審被告は、中途退職時以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、亡西垣は昭和二四年一一月金川造船を退職しているが、同年一二月には一審被告に入社して直ぐ同被告神戸造船所構内で就労しているから、総論で検討したとおり、少なくとも不法行為については、各別に消滅時効は進行しないものと解するのが相当である。

したがって、右時効の抗弁も理由がない。

六損害

1 慰謝料

亡西垣の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院での聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)他職場(帝国酸素(株)、昭和製作所)における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六一歳)と同年齢における日本人の平均的聴力損失値は16.3dB(六分法)前後である。

そして、同亡西垣が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右(一)(二)の各聴力低下分を控除すれば、亡西垣の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は六割程度と認めるのが相当である。

なお、前記認定事実によれば、亡西垣は、金川造船退職後、一審被告神戸造船所が騒音職場であることを認識しながら昭和二四年一二月同被告に入社し、再び同造船所構内で就労しているが、その時点では聴力低下を全く認識していないから、総論で検討したとおり、右入社及び就労をもって危険に接近したとして、これを慰謝料の算定にあたって斟酌するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた亡西垣の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同人が受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一二〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一二万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

七相続

以上によれば、亡西垣は一審被告に対し、債務不履行又は不法行為に基づき金一三二万円の損害賠償請求債権を有していたところ、甲第一八四号証の一ないし八によれば、亡西垣が昭和五八年一二月九日死亡し、一審原告西垣冨美子が同五九年六月二日成立の遺産分割協議により右請求債権を相続したことが認められる。

〔14〕(一−一五)一審原告田野米三郎

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正元年九月五日出生

①昭和二年四月〜同一〇年一〇月

家業の農業手伝い

②昭和一一年一〇月〜同二〇年九月

一審被告本工(一審被告神戸造船所構内)

③昭和二〇年一〇月〜同二六年二月

家業の農業手伝い

④昭和二六年三月〜同二九年四月

松尾鉄工所(一審被告神戸造船所構内)

⑤昭和三〇年一一月〜同三二年一〇月

野田浜鉄工所(右同)

⑥昭和三二年一一月〜同五一年七月

三神合同(右同)

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

一審原告田野は、①③の各期間、いずれも家業の農業を手伝ったが、騒音に曝されることはなかった。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告田野は、昭和一一年一〇月一審被告に本工として入社し、②の期間、撓鉄工として山型T棟において、「ほど」と呼ばれる炉で小物部材を焼き、それに当てびしや柄タガネを当てて中ハンマーや鼓ハンマーで叩いて段をつけたり(背切り作業)、切断したりする作業に従事していた。

当時の山型T棟は、右のハンマーによる打撃音以外にも「はんろ」(大型エアハンマー)による打撃音、コンプレッサーの音、送風機のモーターの音が混じり、それ自体相当な騒音を発する作業場であった。のみならず、隣接する撓鉄S棟からは外板やフレームの曲げ加工作業時のハンマーによる打撃音が絶え間なく聞こえてくる状況にあった。当時は戦時体制下にあり、作業は昼夜を分かたず遂行され、残業も行われた。

(二) 同原告は、昭和二六年三月同被告の下請会社である松尾鉄工所に入り、④の期間も右(一)と同じ作業場所で同様の作業に従事した。

右の時期は、戦後の衰退期から立直って、造船量が増加しつつある時期であり、戦中の昭和一八、九年に近い建造量に迫る時期であった。

しかし、昭和二九年ころ山型T棟の鉄構関係の小物部材の曲げ加工がE棟に、撓鉄S棟の外板の曲げ加工がA棟(現F棟)にそれぞれ移った関係で、山型T棟の建屋の騒音は従前よりかなり減少した。

(三) 同原告は、昭和二九年四月松尾鉄工所を退職し、一時一審被告神戸造船所を離脱していたが、昭和三〇年一一月同被告の下請会社である野田浜鉄工所に入り、⑤⑥の前半の期間、同造船所の山型工場、撓鉄S棟で、先手として鼓ハンマーや当てびしを用いて、プレスで荒曲げされた型鋼(フレーム)の曲げ加工、歪取りの仕上げ作業に従事した。同原告のような下請工は、一審被告本工と共同で作業をしていた。

型鋼(フレーム)の曲げ加工は、次第に、部材を「ほど」で焼く熱間加工法(いわゆる焼き曲げ)から、部材を「ほど」で焼かずにプレスで荒曲げし、その後定盤においてガスバーナーで焼き水をかけて仕上げる冷間加工法に変わり、これに伴ってハンマーでジャッキ等を叩いて部材を曲げ加工する工法は少なくなったが、同原告は、右の時期もハンマー等を用いたようである。同原告は、そのほか夜勤の際水圧プレスのハンドル取り、たまにジンブルの先手なども務めた。

右の冷間加工法への移行の結果、昭和二八、九年ころから昭和三二年ころにかけて「ほど」が廃却された。

また、この当時、船舶建造法について溶接工法が取り入れられてゆくと、フレームの面を仕上げる必要も大幅に減少し、これらのこともあって、騒音は従前よりは減少したとみられる。

周辺にはジンブルの回転音がしていた。

(四) 昭和四一年九月にR棟(現A棟)が完成し、フレームの曲げ加工が撓鉄S棟からR棟に移動したのに伴い、同原告もR棟に移り、従来どおりもっぱら定盤で、ガスバーナーを使ってフレームの曲げ加工作業に従事したほか、マーキングした箇所のガス切断や小組立の作業にも少し携わった。R棟では定盤に部材を固定するため鼓ハンマー等でジャッキを叩く作業も行われ、そのハンマーによる打撃音、ガスバーナーの音のほか、キールベンダーやジンブル等の機械の音もしていた。

R棟は、独立した建物で、周辺の騒音の影響は比較的少なく、他の工場と比べて騒音は低いが、その騒音レベルについては、先にも認定したとおり昭和五〇年三月の時点で最高八五ホン、最低八〇ホン、昭和五二年七月の時点で91.2ホン、85.6ホン、80.6ホンという測定結果が得られている。

4 耳栓の支給・装着状況

一審原告田野は、遅くとも昭和四〇年ころには耳栓の支給を受け、これを毎日着用していた。破損したときに代わりを要求すると直ぐ支給してくれた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告田野は、昭和三七、八年ころ(五〇、五一歳ころ)他人から聴力低下を指摘され、同原告自身も昭和四〇年ころ(五三歳ころ)他人の声が聞き取りにくくなり、聴力低下を自覚するようになった。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年八月三一日(六四歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右四三dB、左四〇dB、語音最高明瞭度が右五〇%、左六〇%であり、障害等級は九級の六の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 同原告の聴力については、(イ)昭和五二年三月二九日(六四歳)西診療所、(ロ)同年六月二日(同)関西労災病院でそれぞれ測定された各検査結果(オージオグラムが二枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所では右51.7dB、左54.2dB、関西労災病院では右43.3dB、左40.0dBとなっている。また、そのパターンをみると、いずれも高音漸傾型を示しており、左右差はほとんどなく、ただ、気導・骨導差については、(イ)では二五〇Hzの左耳、及び五〇〇Hzの両耳の骨導よりも低下しているが、(ロ)では解消している。

他方、語音最高明瞭度は、西診療所では左右とも六五%(右七〇dB、左六〇dB)、関西労災病院では右五〇%(八〇dB)、左六〇%(一〇〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「オージオグラムのパターンから見ても、また明瞭度の値から見ても、騒音性難聴の聴力像とみて矛盾はない。なお、(イ)の気導・骨導差については、測定誤差か測定ミスと考えるのが妥当である。」旨述べており、当審証人岡本途也も、右同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告田野の聴力像は、高音漸傾型を示しており、騒音性難聴の特徴に合致していることから、騒音性難聴とみて妨げないものである。同原告は、戦前約九年間と戦後昭和二六年三月から通算約二四年間、一審被告神戸造船所で撓鉄工・仕上工として就労し、その間撓鉄作業・仕上作業に従事し、相当の騒音の曝露を受けたものと認められる。同原告は、一審被告神戸造船所に入構する以前には騒音に被曝されておらず、また、他の耳の疾患にかかったことも認められない。

以上を総合して考えると、同原告の聴力低下には加齢要素を考慮に入れなければならないとしても、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告田野は、②の期間は一審被告の本工として、④⑤⑥の各期間はいずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに下請工として労務を提供したものであるから、同被告は、同人に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告田野の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告田野の中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、一審原告田野は、昭和二〇年九月一審被告を退職し、その後松尾鉄工所に入るまで約五年余りの間、同被告神戸造船所構内を離脱していたことが明らかであるから、右退職以前の損害賠償請求権は、債務不履行、不法行為のいずれについても、右退職時から時効期間(一〇年ないし二〇年)が進行するものと解するのが相当であり、時効により消滅したものというべきである。

しかし、前記認定事実によると、同原告は、松尾鉄工所退職後野田浜鉄工所に入り再び同被告神戸造船所で就労するまで約一年七か月間、同被告神戸造船所を離脱していたけれども、職場離脱期間は比較的短期間であるから、総論で検討したとおり、右退職以前の損害賠償請求権の消滅時効は、少なくとも不法行為については、独立して進行しないものと解するのが相当であり、その限りで時効の抗弁は理由がないというべきである。

六損害

1 慰謝料

一審原告田野の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料となった最新の関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)消滅時効により責任の消滅した②の期間の騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六四歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は16.3dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は三割程度と認めるのが相当である。

ところで、前記認定事実によると、同原告は、以前に約九年間、一審被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを知りながら、昭和二六年三月松尾鉄工所、同三〇年一一月野田浜鉄工所にそれぞれ就職し、再三にわたり同被告神戸造船所構内で就労しているが、右各就職の時点では聴力低下を全く認識していないことに徴すると、右事情をもって聴力低下の危険があることを認識しながら敢えてその危険に接近したものとして、同原告の慰謝料の算定にあたって考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一〇万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔15〕(二―一)一審原告南日輝

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正七年八月一七日出生

①昭和一四年四月以前

農業、製材所勤務

②昭和一四年四月〜同二〇年一〇月

一審被告本工(同被告神戸造船所構内)

但し、右期間中、

③昭和一四年五月〜同一六年二月

兵役(鳥取第四〇連隊歩兵)

④昭和二〇年三月〜同年一〇月

兵役(鳥取第四〇連隊歩兵)

⑤昭和三〇年九月以前のある期間

長谷川鉄工所(一審被告神戸造船所構外)

⑥昭和三〇年九月ころ〜同三一年四月

鈴木工業所(一審被告神戸造船所構内)

⑦昭和三一年六月〜同五一年一〇月

一審被告臨時工、次いで昭和三四年六月以降本工(右同)

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 一審原告南は、①の二、三か月の間、製材所に勤務したことがあり、騒音を受けたものと思われる。

製材所における帯鋸・丸鋸の騒音は一〇〇ホンを超えるものが大部分で、かつ高周波音域であるとする資料がある。

(二) 同原告は、③の期間は鳥取第四〇連隊歩兵として中国に従事し、④の期間は同連隊歩兵として国内で初年兵の教育に当たったが、右各兵役期間中における具体的な騒音被曝状況は証拠上明らかでない。

(三) 同原告は、戦後、⑤のある期間、銭湯用の風呂釜を板金加工して製作し、取り付けることを業とする長谷川鉄工所で取付工として稼働したが、その間の具体的な騒音被曝状況は証拠上明らかでない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告南は、戦前・戦中期を通じて約四年余り一審被告神戸造船所構内で本工として就労しているが、そのうち復員後の昭和一六年三月から約一年間は取付鉄工として稼働し、騒音に曝されたとみられる。

(二) 同原告は、次いで昭和一七年三月から同二〇年三月までの約三年間は現図工として、現図場で作業した。その作業内容は、図面に基づいて木製の木型を作成したりするもので、罫書をすることもあった。

(三) 同原告は、戦後⑥の期間、一審被告の下請会社である鈴木工業所に勤め、同被告神戸造船所構内で当初は取付工(鉄木工)として就労し、次いで罫書作業に従事した。現図場の周辺から騒音が聞こえていたが、具体的な騒音被曝状況は証拠上明らかではない。

(四) 同原告は、昭和三一年六月から一審被告臨時工、次いで同三四年六月からは同本工として勤務し、最初の期間は罫書作業等に従事した。

右の罫書作業では、モノポール切断後の部材の罫書等を行ったとみられるが、タガネを用いてポンチング作業にも従事したようである。ポンチングの際は甲高い音がした。

昭和三七年一〇月の神船時報では、鉄構工作課の現図罫書場の状況は騒音がはなはだしいと書かれているが、造船関係の現図罫書場もこれと大差がないと考えられる。

(五) 同原告は、次いで昭和三五年六月からガス溶接工に職種変更され、船穀課M棟、U棟等で、当初はモノポールについてガス切断作業等を行った。その作業内容は、手切りバーナーを用いて、モノポールで切断された後の部材のブリッジ(モノポールで切断時部材が落下しないように切り残しておく部分)やノッチ(モノポールで切断後の部材の罫書のために目印として残しておく部分)を切断したり、あるいはIKにより溶接部材の面取り(溶接部材を付き合わせた時V字型になるよう加工すること)をする作業であった。同原告は、昭和三八年八月六日兵庫労働基準局長からアセチレン溶接士(ガス溶接作業主任者)の免許証の交付を受けている。

なお、同原告は、罫書作業にも携わったが、ペイント書きと墨つぼによる張り糸作業であり、ポンチングはなかった。

ガス切断作業の騒音については、ガスバーナーの噴射音が主要なものであるが、総論でみたとおり、九〇〜一〇〇ホンとする資料もあるなど、騒音作業であることは否定し難い。

M棟では主に溶接が行われ、ピースを外す時に手持ハンマーによる打撃音があったが、東側は現図場で騒音はなく、西隣は焼き場でバーナーの音がする程度で大した騒音ではなかった。また、U棟の東隣は物置、西隣は現図場であるため、周辺の騒音はなかった。

(六) 同原告は、昭和四〇年ころEPMの導入に基づくコスト低減のためモノポールが廃棄された後は、M棟のガス定盤上、さらにガスコンベアがL棟に設置された同四三年以降はガスコンベア上で、IKやウイゼルを用いて、いずれもガス切断作業に従事した。

騒音の程度は前記のとおりである。なお、現図場の南側はL棟になり、小物部材の切断作業がなされ、その騒音があったほか、集じん機が設置され、その騒音もあった。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和三七、八年ころに耳栓の支給を受けて着用したが、これをヘルメットの後部や作業服の襟のボタン穴にぶら下げておくこともままあったようである。当初の耳栓は材質が固く、痛みを感じたり、耳にかぶれなどができたりして使用しにくいものであり、着用しても外れたりすることが少なくなかった。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告南は、昭和三七、八年ころ(四四、五歳ころ)から聴力の低下を自覚するようになり、その後徐々に悪化していったと感じている。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年八月一二日(五八歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右七六dB、左八四dBであり、障害等級は、障害等級表における七級の二(両耳の聴力が四〇センチメートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 同原告の聴力検査結果としては、(イ)昭和三九年一二月二二日(四六歳)一審被告衛生課でなされたスクリーニングテスト(左右とも正常)があるほか、(ロ)同四六年三月三日(五二歳)、(ハ)同五一年九月三〇日(五八歳)、(ニ)同五二年三月二五日(同)、以上一審被告衛生課でなされたもの(オージオグラム三枚)がある。

その平均純音聴力損失値は、(ロ)右40.0dB、左36.7dB、(ハ)右スケールアウト(48.3dB)、左42.5dB、(ニ)左右とも58.3dBとなっている。また、聴力像を見ると、いずれも骨導聴力に関するデーターがなく、気導聴力はそれぞれ多少聴力像が異なるものの、おおむね高音漸傾型を示している。特筆すべき点として、聴力損失値が(ロ)から(ハ)の五年半の間には僅かしか変化していないのに、(ハ)から(ニ)に至る約半年間に急速に低下しており、その後の労災認定の数値はさらに極端に低下していることが挙げられる。

なお、語音最高明瞭度は測定されていない。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「骨導聴力に関するデーターがないので、感音難聴か否か判断できない。(ハ)から(ニ)に至る約半年間に聴力が急速に低下しているが、これを全体として騒音性難聴とみるためには、(ハ)の時点(昭和五一年九月)以降に、それ以前に比して極めて激しい騒音を発する環境下にいたという事実がなくてはならないこととなる。オージオグラムのパターンから見る限りは、それぞれ騒音性難聴の聴力像とみても矛盾はないが、その進行経過から見れば、騒音性難聴の聴力像とみるには大きな疑問が残る。」旨述べており、当審証人岡本途也は、「骨導聴力の測定値がないから、正式には感音難聴かどうか判断できないが、(ロ)の左耳はC5ディップの格好をしているので、まず騒音性難聴と考えていいのではないか。(ハ)から(ニ)への聴力低下の進行があれば、これは別の疾患だろうと思う。」と同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、一審原告南の聴力像は、その進行経過からみれば疑問があり、また、加齢要素によるものがあることは否定し難いものの、パターンとしてはおおむね高音漸傾型を示しており、騒音性難聴の聴力像とみても矛盾はない。同原告は、一審被告神戸造船所構内に通算して約二五年間就労し、戦中は相当の騒音を受けたほか、戦後もポンチングやガス切断等の騒音に曝されていること、同原告が同神戸造船所入構以前に勤務した製材所は、その勤務期間が比較的短いし、長谷川鉄工所の騒音もそう大きなものであったとは認め難いこと、同原告には他に耳の疾患があったとは認められないことなどを総合して考えると、同原告の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告南は、②⑦の各期間(但し、③④の各期間を除く。)は一審被告本工として、⑥の期間はいずれも下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は同原告に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告南の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

2 さらに一審被告は、一審原告南の各中途退職以前の損害賠償請求権につき消滅時効を援用する。

前記認定事実によると、一審原告南は、(1)昭和二〇年一〇月一審被告を退職し、その後鈴木工業所に雇用されるまで約一〇年間、さらに(2)昭和三一年四月に鈴木工業所を退職し、その後同被告に入社するまで約一か月間、それぞれ同被告神戸造船所構内を離脱していたこと、同原告は、昭和三七、八年ころ聴力低下を認識していることが認められる。そのうち、(1)の退職以前の損害賠償請求権については、職場離脱期間がかなり長期に及んでいることに照らすと、右退職の時点から、債務不履行に基づくものは一〇年、不法行為に基づくものは二〇年(又は右聴力低下認識の時から三年)の消滅時効が進行し、いずれも時効により消滅したものと解するのが相当である。

しかし、(2)の退職以前の損害賠償請求権については、職場離脱期間が極めて短期間であるから、総論で検討したとおり、少なくとも不法行為に基づくものは独立して消滅時効は進行しないものと解するのが相当である。したがって、この点に関する時効の抗弁は理由がない。

六損害

1 慰謝料

一審原告南の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果と労災認定値があるが、各検査結果とその数値の変動、同原告退職の時期と当時の騒音被曝状況等以上認定の事実に徴すると、前記(ハ)の検査結果を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)消滅時効により責任の消滅した②の期間の騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、(ハ)の検査時(五八歳)と同年齢における加齢に基づく日本人の平均的聴力損失値は8.9dB(六分法)前後である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は六割程度と認めるのが相当である。

なお、前記認定事実によると、同原告は以前一審被告神戸造船所構内で就労し、同所が騒音職場であることを知りながら、昭和三〇年鈴木工業所に、昭和三一年同被告に入り、同造船所で就労しているが、その時点では聴力低下を認識していないことに徴すると、敢えて危険に接近したものとして右事情を慰謝料の算定にあたり考慮するのは相当でない。

以上の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告が受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一五〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一五万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔16〕(二―二)承継前一審原告亡森清

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正四年一月一日出生

①昭和二年〜同一一年

郵便局勤務

②昭和一一年一二月〜同四七年四月

一審被告本工(同被告神戸造船所構内)

但し、右期間中、③昭和一四年二月〜同一五年九月

兵役(姫路第一一〇連隊歩兵)

昭和六二年六月二日死亡

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 亡森は、①の期間、郵便局に勤務し、簡易保険の集金業務を担当したが、騒音とは関係なかった。

(二) 亡森は、③の期間、兵役に就いたが、その間騒音被曝を受けたことを認めるに足りる証拠はない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況

(一) 亡森は、②の期間のうち入社当初の六か月間位の研修期間中にハツリ等の研修も受け、その後昭和一三年四月ころまでは運搬工として、主として「室屋」と呼ばれる鋳型の乾燥作業に従事した。

(二) 亡森は、昭和一三年五月から鋳造工場のクレーンマンとなり、昭和二一年初めころまで鋳鉄場(D棟、E棟)に配属され、主にE棟の鋳込み場(型場)、その他土落場(製品場)、屋外の鋳物置場等で天井走行クレーンの運転をしていた。

鋳造工場のクレーンは、いわゆる「かぶせまえ」と言って鋳型を合わせる際に、上型を吊り上げたままで手待ちしていたり、吊った上型を上下に何度も徐々に上げ下げしたりするために用いられることが多く、また、物を運搬する場合にも作業の性質上、安全上、緩やかに行い、通常の走行に用いられることが少なかったこともあって、その騒音は他の工場のクレーンに比べて低かった。ちなみに、クレーン下からクレーンマンへの合図は、手を上げたり掛け声をかけたりする方法で行われていた。

周辺騒音として、鋳物のハツリ(いわゆる鉄砲を用いて鋳物のバリ等を取り除く作業)、型込め(型込め場でエアハンマーを用いて鋳物砂を打ち固める作業)の騒音があったが、前者は鋼板のハツリと比べると音の高さは多少低く、後者は鋳物砂に吸収されてそれほどの騒音ではなかった。

(三) 亡森は、昭和二一年初めころ鋳鋼場(F棟、G棟)に配属され、また同年三月ころクレーンマンの伍長(責任伍長)に昇進した。責任伍長になってからは鋳鋼場のクレーン作業の取りまとめ、部下のクレーンマンに対する管理・監督業務、あるいは詰所におけるいわゆるデスクワークを行うようになった。詰所は最初G棟の中央部にあり、後にF棟の東端の二階に移ったが、いずれも他から遮蔽された構造になっていたため、騒音は低かった。

同人は、クレーンマンが欠勤・休暇・休憩等により不足した場合には自らクレーンを運転することも少なくなく、また経験の少ない者がクレーンを操作する場合にはその傍らに同乗してこれを指導、監督することもあり、これらのときは現場のクレーン等の騒音に曝された。その後昭和三〇年ころからはF棟西端の鋳鋼中子場のクレーンに乗るようになったが、これは夕方に一回まとめて中子をG棟中央の乾燥炉まで運ぶのが主たる業務であった。

(四) 亡森は、技量、健康上の理由及び本人の希望により、昭和四三年六月道具庫に配置替えされ、同四六年三月までは当時D棟中央部にあった道具庫で、以後退職時までは建屋の改造に伴いOH棟中央部に新設された道具庫で、主として消耗材料・冶工具類・備品等の払出し、保全管理等の業務を行った。

道具庫においても、南側の鋳鋼場型場からたまにエアハンマーによる型込めの音が聞こえるなど、周辺の騒音がなかったわけではないが、他の部署に比較すると、かなり低かったようである。

4 耳栓の支給・装着状況

亡森は、昭和三〇年代の後半ころ耳栓の支給を受け、以後これを装着するように努めていた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡森は、昭和三五、六年(四五、六歳)ころから聴力低下を認識するようになった。

なお、同人がかつて耳の疾患にかかったことを認めるに足りる証拠はない。

2 亡森は、昭和五二年一二月一七日騒音性難聴に基づく労災申請をしたが、同月一九日時効のため不支給決定がなされた。

3 亡森の聴力については、(イ)昭和五二年一〇月二一日(六二歳)西診療所、(ロ)同五六年一一月七日(六六歳)神戸労災病院でそれぞれ受けた各検査結果(オージオグラム二枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、(イ)右63.3dB、左40.0dB、(ロ)右65.8dB、左47.5dBとなっている。次に聴力像をみると、(イ)のオージオグラムでは、右耳は低音域の方が中音域、高音域に比して聴力損失が大きいのに反し、左耳は八〇〇〇Hzに比して、四〇〇〇Hzの聴力低下の程度が格段に小さく、左右差が著明である。また、右耳は、二五〇〜一〇〇〇Hzにかけて気導・骨導差が著しい。また、(ロ)のオージオグラムでは、右耳は二五〇〜五〇〇Hzの聴力損失が六〇ないし六五dBあるのに、四〇〇〇〜八〇〇〇Hzが七五〜八〇dBの低下しかなく、左耳は低音域が残り、高音域が急墜していて、やはり左右差がある。また、両オージオグラムを比較すると、右耳の二五〇〜五〇〇Hzの聴力に幾分の回復が認められる点を除き、全体として聴力低下が進んでいる。

一方、語音最高明瞭度((イ))は右三五%(九〇dB)、左八五%(九〇dB)となっている。

4 亡森の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「(イ)のオージオグラムは左右のパターンが全く異なり、特に右耳のそれは騒音性難聴の特徴を全く示していないので、全体として騒音性難聴の聴力像を示すものとすることには大きな疑問がある。さらに一般に騒音性難聴のオージオグラムのパターンでは高・低両音域の聴力の域値に著明な差がなければならないのに、(ロ)のオージオグラム程度の域値差しかないパターンは騒音性難聴ではあり得ない。また、(イ)から(ロ)への聴力低下は、その間の四年間に騒音性被曝等特別の要因が認められなければ、加齢要素による進行とみられ、一方、右耳の低音域の回復は(イ)の時存した伝音系の障害が治癒もしくは改善されたことによるとみられる。」と述べており、当審証人岡本途也は、「この症例のような左右差が出てくることは騒音性難聴では原則的にはない。右耳は気導・骨導差があり、低音域が高音域より損失が大きかったり、水平に低下していることからして騒音性難聴ではない。しかし、左耳は、(イ)の四〇〇〇Hzと八〇〇〇Hzとの差が二五dBもあり騒音性難聴では普通起こらないが、(ロ)ではそれほど差がないことからみて、騒音性難聴ではないと一概に決めつけられず、騒音性難聴の可能性はあると思わざるを得ない。」旨証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、亡森の聴力像は、左右のパターンが全く異なり、とくに右耳のパターンは騒音性難聴の特徴を全く示しておらず、高・低両音域の域値差が著明でないことなどから判断して、オージオグラムを見る限り騒音性難聴であるかどうか極めて疑わしいといわざるを得ない。

一方、亡森の一審被告神戸造船所における騒音被曝状況についてみるに、同人は、若干の兵役期間を除き、昭和一一年から三十数年間一審被告本工として同神戸造船所で就労してきたものであるが、最初一年余りは鋳型の乾燥作業に従事したものの、そんなに騒音に曝されたとは思われないこと、次いで昭和一三年五月から約三〇年間、鋳鋼場のクレーンマンとして稼働したが、同所のクレーンによる騒音は作業の性質上等から他の工場のそれより低かったうえ、昭和二六年ころからは責任伍長として主にデスクワークをしており、それほど強度の騒音被曝を受けたとは認め難いこと、さらに昭和四三年六月以降退職する同四七年四月までは騒音職場とはいえない道具庫で稼働していたことなど、前認定のような騒音被曝歴ないし状況に照らすと、同人が同被告神戸造船所構内において曝された騒音程度は騒音性難聴を起こすほどのものとはたやすく認め難い。

同人は、昭和三五、六年(四五、六歳)ころ聴力低下を認識しており、加齢要素の影響を否定できない。

以上を総合して判断すると、亡森は、一審被告神戸造船所構内で相当の騒音に被曝したことが認められるとしても、それによって騒音性難聴になったものとはにわかに認め難く、同人の聴力障害と一審被告における騒音被曝との相当因果関係を認めることは困難である。

四結語

そうすると、承継前一審原告亡森の訴訟承継人である一審原告森久子、同森由夫、同牧野千鶴子、同古庄二三子、同森哲也の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔17〕(二―三)承継前一審原告亡久川今次

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四一年四月二〇日出生

①昭和四年六月以前

酒屋の店員、伐木搬出の手伝い、醤油屋店員

②昭和四年六月〜同七年一一月

兵役(海軍佐世保海兵団)

③昭和七年からある期間  農業

④昭和七年から同一三年までの間のある期間

谷下工業所(取付工)

⑤昭和一三年六月〜同二二年一一月

川崎重工業(取付工)

但し、右期間中、

⑥昭和一五年一二月〜同二一年六月

兵役(海軍佐世保海兵団)

⑦昭和二二年一一月以降の何時か〜同二三年九月

一審被告臨時工(同被告神戸造船所構内)

⑧昭和二三年九月〜同三八年五月

一審被告本工(右同)

⑨昭和三八年五月ころ〜同年暮ころ

一審被告臨時工(右同)

⑩昭和三九年九月〜同四二年四月

三神合同(株)(右同)

⑪昭和四二年七月〜同五一年四月

増田産業(右同)

⑫昭和五一年五月ころ〜同五三年六月

兵庫県研修所の雑役、明舞団地(住宅公団)の掃除、雑役

昭和五八年一一月二一日死亡

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 亡久川は、①の期間、酒屋の店員等前記各職業に就き、③の期間、農業に従事したが、その間とくに騒音に曝されたことはなかった。

(二) 亡久川は、④の期間、取付工として谷下工業所で稼働しているが、そこでの騒音被曝状況を認めるに足りる証拠はない。

(三) 亡久川は、昭和四年六月から同七年一一月まで佐世保海兵団に入団し、同五年三月戦艦「霧島」に、同年六月海防艦「対馬」に乗り組むなどして兵役に就いた(途中胸膜炎で二回約三か月余り入院)が、その間艦砲の射撃音等に接したものと思われる。

次いで、亡久川は、昭和一五年一二月召集により再び佐世保海兵団に入団し、馬公・東沙島等南支方面の事変地で実戦に参加したが、その時の騒音被曝状況については証拠上詳らかでない。その後、昭和一七年五月佐世保第一海兵団付に、同年六月には第一一航空艦隊司令部付を命じられ、テニアン、ラバウルに派遣され、昭和二〇年八月の終戦までラバウルで実戦に参加したが、この時は連日空襲を受け、激しい戦闘を経験し、騒音に被曝したものと推認される。

(四) 亡久川は、一審被告入社後、比較的早い段階から聴力が低いことを同僚から指摘されており、また、同僚に対し、戦争体験談として、「ラバウルで空襲に来た敵の飛行機を撃ち落とすため機関砲を撃ったが、その音はコーキングやインパクトレンチの音よりも高い。」、「ラバウルへ行って生死の境をさまよった。」、「お国のために尽くしたから耳が遠くなった。」という趣旨のことを語ったことがある。

(五) 亡久川は、⑤の約二年一〇か月間、川崎重工業において取付工として稼働し、航空母艦等の建造に関与し、そのねじ締め等の作業に従事した。

当時は、戦時体制下で、船台は鉸鋲作業等強烈な騒音下にあったものと推認され、同人は相当の騒音被曝を受けたものと思われる。

(六) なお、亡久川は、ラバウルでマラリアに罹患し、内地に復員後もマラリアが再発したことがある。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡久川は、⑦⑧の各期間、一審被告の臨時工、本工として同被告神戸造船所に勤め、ほぼ一貫して船台で取付工として稼働した。取付工は、部材やブロックを鉸鋲又は溶接によって組み立てるにあたり、正確で確実な接合ができるよう、ねじ締め、目合わせ、取付位置のマーキングなどを二人一組で行うものである。当時、ねじ締めには工具としてインパクトレンチが用いられた。

同被告神戸造船所では、亡久川が船台で稼働していた間に、船舶建造法が鉸鋲法から溶接法に変わり、したがって鉸鋲に伴う騒音は減少した。

(二) 亡久川は、一審被告の下請会社である三神合同に移ってから、⑨の期間取付工として船台近くの東西組立定盤上で、主としてガス切断や仮付作業に従事した。

(三) 亡久川は、その後、近畿菱重興産(株)その他の下請会社として、利材業務と産業廃棄物の処理業務を取り扱う増田産業に勤め、同被告神戸造船所構内の専用作業場(利材ヤード)で、増田産業所有のガスバーナー等を用いてスクラップのガス切断作業を行い、その後ゴミ焼却作業場の責任者として作業を行った。

一審被告は、昭和四三年五月残材・スクラップの処置を行う利材業務を関連会社である近畿菱重興産(株)へ移管していた。右の専用作業場の建物や焼却炉は一審被告の所有で、近畿菱重興産(株)が一審被告から借りて管理しているものであり、酸素やガスは同被告から支給を受け、固定クレーンは近畿菱重興産(株)の所有であり、機械・工具類は増田産業の所有のものであった。

右専用作業場は、同造船所構内の防潮堤横の屋外にあり、工場その他騒音職場から離れ、比較的静かな場所にある。固定クレーンは電動式なので大した操作音ではなく、主な騒音としてはガスバーナーの噴出音、鋼材を下ろした時の接触音くらいであった。

なお、同人の右作業については、増田産業のボーシンないし管理者の指示を受け、一審被告本工の指示を受けるということはなかった。

4 耳栓の支給・装着状況

亡久川は、昭和三七年ころ耳栓の支給を受けて着用するようになった模様である。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡久川は、一審被告の本工になって間もない昭和二四年ころ(四一歳ころ)、同僚に聴力低下を認識されており、同僚との会話の際にも右耳に手を当てて近寄ってきたり、何度も聞き返すことがよくあった。また、昭和三〇年代の初期(四〇歳後半)には補聴器を使用していた。

なお、同人は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 亡久川は、昭和五二年一〇月二五日(六九歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右六二dB、左七四dB、語音最高明瞭度が右七五%、左五五%であり、障害等級は、障害等級表における七級の二(両耳の聴力が四〇センチメートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 亡久川の聴力については、昭和五二年五月三〇日(六九歳)西診療所でなされた検査結果(オージオグラム一枚)が存在するにすぎない。

その平均純音聴力損失値は、右60.0dB、左70.8dBであり、その聴力像を見ると、右耳は、二五〇Hzまでの聴力が四五dB、さらに高音域に行くに従って八〇〇〇Hz、八〇dBまで徐々に低下する高音漸傾型を示しているのに対し、左耳は、二〇〇〇Hzまでの聴力が六〇〜七〇dB程度までフラットに落ちていて、四〇〇〇Hzが九〇dB、八〇〇〇Hzがスケールアウトとさらに低下していて、左右差がある。

他方、語音最高明瞭度は、右九〇%、左五五%(以上九〇dB)となっており、右耳の明瞭度は、一〇〇〇Hzが五五dBの純音損失値である点からみて良すぎる。

4 亡久川の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「左耳は、パターンから見ても明瞭度から見ても、一応騒音性難聴であるかのようであるが、右耳は、純音損失値と明瞭度の相関関係から見ると、騒音性難聴とは考えられない。しかも、悪い左耳が騒音性難聴、良い右耳がそうとは考えられないという実に奇妙な左右差がある。これを矛盾なく説明しようとすれば、左耳のみが高レベルの騒音に曝され(又は高レベルの騒音環境下で、右耳のみが騒音から遮蔽され)、かつ右耳のみに騒音以外の原因が作用したという状況を想定するしかないが、このような状況は一般的にはまず考えにくい。なお、戦時中はマラリアの治療にはキニーネの投与しか方法がなかったが、この症例のように明らかな左右差がある場合には、キニーネの副作用のみによる難聴とみることはできない。」旨述べており、当審証人岡本途也は、「騒音性難聴ではこのような左右差は余り起こらないと思う。なお、キニーネによる聴器中毒は、普通左右差はないので、全く否定はできないにしても、何とも言えない。」と同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、亡久川の聴力像は、左耳については騒音性難聴のかなり進行した型でのものとみることが可能ではあるが、右耳は騒音性難聴ではあり得ず、しかも左右で実に奇妙な左右差があり、このような騒音性難聴の原因状況は一般的には考えにくい。

亡久川は、戦後昭和二二年から通算約二七年余り一審被告神戸造船所構内で就労し、そのうち前半約一八年余りは船台や定盤等で取付工として取付作業に従事し、相当の騒音に曝されたと認められる。しかし、一方、同人は、同被告神戸造船所で就労する以前、前認定のとおり二度にわたる兵役に就き、ラバウルでは激しい実戦を経験し、強烈な騒音に被曝されていることが認められ、しかも、本人は、自分の難聴が戦争に起因するものであることを自認しており、同人の聴力障害はそのときの騒音による疑いが濃厚である。さらに亡久川は、老齢であり、その聴力低下には加齢要素も加味して考えられる。

なお、亡久川は、マラリアに罹患したことがあるが、同人の聴力障害がその治療に使用したキニーネによる聴器中毒とは考えにくい。

以上を総合して考えると、亡久川の聴力損失と一審被告における騒音被曝とは相当因果関係があるものとは認め難いというべきである。

四結語

以上の次第により、承継前一審原告亡久川の訴訟承継人である一審原告久川玉江の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔18〕(二―四)一審原告前田利次

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正三年五月二五日出生

①昭和四年三月〜同八年  農業

②昭和八年一二月〜同一〇年一〇月

④昭和一二年九月〜同一四年一二月

⑥昭和一九年七月〜同二〇年八月

以上いずれも兵役(台湾歩兵第一連隊第七中隊歩兵など)

③昭和一〇年一〇月〜同一二年

⑤昭和一四年一二月〜同一九年

⑦昭和二〇年八月〜同二二年四月

以上いずれも台湾電化(株)

⑧昭和二二年四月〜   農業

⑨昭和三六年四月〜同三九年五月

要工業(有)(大同特殊鋼(株)高蔵製作所構内)

⑩昭和四〇年一月〜同四〇年九月ころ

(株)高市工業所(右同)

⑪昭和四一年一月〜同五一年一二月

三神合同(株)(一審被告神戸造船所構内)

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 一審原告前田は、①⑧の各期間、農業に従事したが、いずれも騒音を受けたことはなかった。

(二) 同原告は、②の期間、台湾歩兵第一連隊第七中隊に歩兵として入隊して兵役に就き、④の期間、同じ部隊に召集され、歩兵一等兵として中国大陸に派遣され、とくに昭和一三年武漢攻略作戦、同一四年海南島討伐作戦に参加し、さらに⑥の期間、三度目の召集により台湾で兵役に就いた。同原告は、延べ五年間にわたる兵役期間中、実戦にも参加しており、騒音に被曝したものと推測されるが、負傷等はなかった。

(三) 同原告は、③⑤⑦の各期間、兵役の合間に台湾のキールンにある台湾電化(株)に勤務したが、同社は、昭和一〇年五月に設立された各種合金鉄その他電炉製品を生産する会社で、生産設備として、六〇〇〇KWカーバイド電炉一基、六〇〇〇KW合金鉄電炉一基及び窒化炉一二基を保有していた。

同原告は、現場で電線の付け替え等をする作業や、変電所で電力使用量を記録する等の事務作業に従事した。同所では変圧器の作動音、電炉の放電音があったが、その騒音程度は不明である。なお、電気炉、加熱炉の騒音程度は、総論で認定したとおり一一九〜八三ホンであるとの資料がある。

(四) 同原告は、⑨の期間、要工業(有)に、その後⑩の期間、(株)高市工業所にそれぞれ雇用され、大同特殊鋼(株)高蔵製作所構内のアーク炉組立工場及び大型加熱炉組立工場で、ガス切断や配管作業(主に配管のパイプを曲げる作業)に従事した。右工場は一つの建屋から成り、数十名にのぼる従業員が混在して製缶組立作業に当たっており、ローラーで鉄板を曲げたり、ハンマーで鉄板を叩いたり、天井走行クレーンの走行する騒音等がしていた。同原告は、作業の際耳栓を着用していなかった。同所の騒音程度は判然としないが、造船所よりも低いもののかなりの騒音は存したものと思われる。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告前田は、昭和四一年一月五一歳のとき三神合同に入社し、それ以後から同四四年一月までは、一審被告神戸造船所の船穀屋内工場M棟(現E棟)の南側にあった第二ガス班の作業場で、骨関係(ブラケット・フロア等のいわゆる内部構造材)のガス切断作業に従事した。

ガス切断作業は、一審被告本工の作業長の指揮下で、ガスバーナー・ウイゼル・IKを使用して行われ、先に検討したように、それ自体騒音を発し、それが絶えず、周辺でも天井走行クレーンの走行音、クレーンから鉄板を下ろすときに床に当たって発する騒音等があった。

(二) 同原告は、次いで昭和四四年一月ころから同五一年一二月までは、アングル工場と呼ばれるR棟(現A棟)でガス作業に従事した。

ここでも自動切断機の作動音、ジンブルの作動音(とくに故障時は一際高い音がした。)がしていたほか、クレーンの走行音、鉄板をクレーンから下ろす時に床に当たって発する騒音等があった。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和四一年一月三神合同に入社した当初から耳栓の支給を受け、作業の際はこれを常時着用していた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告前田は、昭和四七年(五七、八歳)ころ妻から耳が遠いと言われ聴力低下に気付いた。

なお、同原告は、かつて騒音性難聴以外の耳の疾患にかかったことはなかった。

2 同原告は、昭和五二年八月三一日(六三歳)騒音性難聴により労災認定を受けたが、認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が左右とも各四五dB、語音最高明瞭度が右七七%、左八〇%であり、障害等級は、障害等級表における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

3 同原告の聴力に関しては、(イ)昭和五二年三月一一日(六二歳)西診療所、(ロ)同月二九日(同)神戸大学医学部附属病院、(ハ)同年五月一〇日(同)、(ニ)同月二五日(六三歳)、(ホ)同年六月九日(同)、以上関西労災病院でそれぞれなされた各聴力検査結果(オージオグラム五枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所((イ))では左右とも52.5dB、神戸大学医学部附属病院((ロ))では右40.8dB、左37.5dB、関西労災病院((ハ)〜(ホ))では右43.3〜45.8dB、左44.2〜48.3dBとなっている。また、聴力像は、全体に低音域に変動はあるものの、おおむね低音域が残存して高音域がかなり急墜しており、気導・骨導差、左右差もそれほどない。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所((イ))では右八五%、左七五%(以上八〇dB)、関西労災病院では(ハ)右七五%(一〇〇dB)、左八〇%(八〇dB)、(ニ)左右とも八〇%(右六〇dB、左八〇dB)となっている。

4 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「全体に低音域に変動はあるものの、騒音性難聴のパターンとみても特に矛盾はないし、気導・骨導差、左右差についても特に問題にすべき程度のものではない。しかし、騒音性難聴とみるには明瞭度が良すぎる。なお、(ロ)をはさんだ前後数か月の間に、低音域が急激に変動しているのは、騒音性難聴ではあり得ないことであり、正しい聴力像を知る意味でも、他覚的聴力検査を含む再検査結果を見る必要がある。」旨述べており、当審証人岡本途也も、「同原告の症例は騒音性難聴と考えてまずいいと思う。(ロ)のデーターが真の聴力損失値を表しているのではないか。明瞭度としてはかなり良い。」旨証言している。

三因果関係

前記認定事実によれば、一審原告前田の聴力像は、低音域に変動があり、明瞭度が良すぎるものの、パターンとしてはおおむね高音漸傾型を示し、気導・骨導差、左右差も問題にすべき程度のものではなく、騒音性難聴の特徴を備えていることからして、騒音性難聴とみて妨げないところ、同原告は、一審被告神戸造船所に入構する以前に、兵役で実戦に参加し、騒音の被曝を受けたことが推認されるほか、大同特殊鋼(株)構内で騒音作業に従事し、騒音の被曝を受けていると考えられること、しかし、同原告は、その後昭和四一年一月から約一一年間一審被告神戸造船所船穀屋内工場でガス切断作業に従事し、その間相当の騒音に曝露されており、聴力低下に気付いたのは同造船所で就労後約六年経過した昭和四七年ころであること、同原告には他に耳の疾患は存しないことなどを総合して考えると、同原告の聴力低下には一審被告神戸造船所入構以前に受けた騒音被曝、加齢要素がかなり寄与しているとはいえ、同原告の聴力損失と一審被告神戸造船所構内における騒音とは相当因果関係があるものと認めるのが相当である。

四責任

1 債務不履行責任

総論で説示したところと前記認定の事実を合わせると、一審原告前田は、⑪の期間、下請会社を通じて一審被告の指定した同被告神戸造船所構内の作業場所で、同被告の所有ないし管理する設備・器具等を用いて又は同被告の職制の指示のもとに社外工として労務を提供したものであるから、同被告は、同原告に対し安全配慮義務を免れるものではなく、同被告が右義務を完全に履行したものとは認め難い。

一審被告の免責事由(違法性阻却事由)の主張が理由のないことは、既に総論で検討したとおりである。

したがって、一審被告は一審原告前田に対し、安全配慮義務違反に基づく損害賠償義務がある。

2 不法行為責任

前同様、一審被告は、一審原告前田の聴力障害の発生につき過失があったものといわざるを得ないから、同原告に対し不法行為に基づく損害賠償義務も免れない。

五時効

1 一審被告は、騒音職場就労開始後一〇年の経過により聴力障害が固定するとの前提に立って消滅時効を援用するが、総論で検討したとおり、右時効の抗弁は採用し難い。

六損害

1 慰謝料

一審原告前田の慰謝料を算定するにあたっては、前記各聴力検査結果のうち労災認定の資料になった最新の関西労災病院における聴力損失値(労災認定値)を基礎とするのが相当である。

次に、右聴力損失値の中には、(一)一審被告神戸造船所入構以前における騒音被曝による聴力低下分、(二)加齢による聴力低下分が含まれているとみられる。総論で認定のとおり、労災認定時(六三歳)と同年齢における日本人の加齢に基づく平均的聴力損失値は16.3dB前後(六分法)である。

そして、同原告が一審被告神戸造船所において従事した作業及び周辺作業の騒音レベル、騒音被曝期間等を前提とし、同原告の聴力損失値から右各聴力低下分を控除すれば、同原告の聴力損失値のうち、一審被告における騒音被曝と因果関係のある部分(寄与分)は六割程度と認めるのが相当である。

右の点に、〈証拠〉に現れた同原告の精神的苦痛その他諸般の事情を斟酌すると、本件により同原告の受けた精神的苦痛を慰謝するには、金一二〇万円が相当である。

2 弁護士費用

金一二万円をもって相当因果関係ある損害と認める。

〔19〕(二―五)承継前一審原告亡西優

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治三八年一〇月二〇日出生

①大正八年〜昭和六年ころ

電気工事見習い

②昭和六年ころ〜

電気工事請負業自営

③昭和二〇年ころ〜  農業

④昭和三〇年代に六年ないし八年間

日本蒸溜工業(株)(銅工)

⑤昭和三八、九年ころ〜同四三年末ころ

三陽船舶(株)(一審被告神戸造船所構内)

⑥昭和四四年初めころ〜同四五年六月

三陽船舶(株)(一審被告神戸造船所構外の三陽船舶(株)の苅藻島工場)

⑦昭和四五年一一月一二日〜同四九年一二月二一日

富士産業(株)(一審被告神戸造船所構内)

昭和六二年九月二二日死亡

2 一審被告神戸造船所構外での騒音被曝状況

(一) 亡西は、①②③の各期間、電気工事見習い等前記各職業に就いたが、その間騒音に曝されたようなことはなかった。

(二) 亡西は、④の期間、蒸留装置の製造を業とする日本蒸溜工業(株)(昭和一二年八月設立)に勤務し、銅工として、ハンマーを用いて機械の組立作業に従事した。右の作業はいわゆる製缶作業であり、ハンマーが用いられたほか、リベットによる接合も一部行われたので、騒音はあったが、扱う部材が銅であったため、その騒音程度は造船所構内よりは低かったものと窺われる。当時、まだ耳栓は支給されていなかった。

(三) 亡西は、⑥の期間、一審被告神戸造船所構外にある新設された三陽船舶の苅藻島工場で、電気溶接による小物取付等の作業に携わったが、その間さしたる騒音に曝されたものとは認め難い。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡西は、⑤の期間、一審被告の下請会社である三陽船舶に勤務し、当初は同被告神戸造船所の製缶工場で溶接のこぶをグラインダーですりつぶす作業等をしたが、騒音があった。次いで船穀屋内工場のC棟で、船穀ブロックの枠組立作業に当たり、主としてガス切断作業に従事した。右作業では間欠的にハンマーを使用することもあった。周辺では、ハンマーによる打撃音、天井クレーンの走行音、ガス切断・電気溶接の噴射音が入り乱れ、騒音がしていた。

作業の指揮命令は、一審被告の職長・ボーシンが行っていた。

(二) 亡西は、その後昭和四〇年ころから鋳造工場(屋内・屋外)で、電気溶接機(一審被告からの貸与品)・ガス切断機を持って工場内をあちこち移動して、鋳物の枠等の整理やガス切断作業を行った。

右工場には鉄砲による仕上作業の音、クレーンの走行音等が響いていた。

(三) 亡西は、昭和四一年一月一四日鉄板を切断する際、自己の使用していたガスバーナーの火口に鉄粉等が詰まり汚くなっていたので、ワイヤーブラシで擦りながら手入れをしていたところ、何かのはずみで手元のガスバーナーの栓が緩み、ホース内に残っていたガスが漏れて引火したため、目の前で爆発するという事故に遭った。同人は、ヘルメットをかぶっていたため、その爆発音がボオーンとこもって頭がグラグラッと感じ、作業後よたよたしながら休憩所に辿り着き、そこで休憩した。右ガス爆発の結果、同人は、両耳に聴力障害を受け、事故直後から昭和四二年一一月まで一年余り鐘紡病院に通院して耳の治療を受けたが、聴力が回復しなかったので、昭和四二年災害性難聴(急性音響性外傷)として労災認定を受けた。

ちなみに、右のガスバーナーは、三陽船舶の所有品であったが、一審被告は、同被告神戸造船所構内で使用する機械工具については安全面から常時厳しい検査を実施し、合格品には合格証を貼って管理し、その使用のみを許可していた。

(五) 亡西は、⑦の富士産業時代、第二船台東側の機関艤装課艤装工場や機械工作課WD棟、WE棟、WF棟で、電気溶接機(一審被告からの貸与品)・ガス切断機等を用いて艤装品の取付(仮付)作業に従事した。

他の作業者の手ハンマーによる打撃音、機械の運搬等が船内にこもり、相当の騒音がしていた。

4 耳栓の支給・装着状況

亡西は、前記爆発事故直後の昭和四一年に三陽船舶に請求して耳栓の支給を受け、これを装着していた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡西は、前記のとおり昭和四一年一月一四日(六〇歳)の爆発事故の後、耳が聞こえにくくなったと気付き、聴力低下を意識し、事故直後から一年余り通院治療をしたが、聴力が回復せず、昭和四二年災害性難聴として労災認定を受けた。同人は、これより先昭和四一年二月初めころから補聴器を着けるようになり、その後、富士産業退職前ころから、耳鳴りがし出すようになった。

なお、同人は、かつて他に耳の疾患にかかったことはなかった。

2 亡西は、昭和五三年二月一六日(七二歳)騒音性難聴として労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右七〇dB、左六七dBであり障害等級(旧基準)は、旧障害等級表における七級の二(鼓膜の中等度の欠損その他により両耳の聴力が四〇センチメートル以上では尋常の話声を解することができないもの)である。

3 亡西の聴力については、(イ)昭和五二年八月一日(七一歳)西診療所、(ロ)同年一〇月二六日(七二歳)、(ハ)同年一二月一三日(同)、(ニ)同月二〇日(同)、以上神戸労災病院、(ホ)同五三年五月一一日(同)、(ヘ)同月二四日(同)、(ト)同年六月七日(同)、以上関西労災病院でなされた各検査結果(オージオグラム七枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は西診療所((イ))では右70.8dB、左67.5dB、神戸労災病院((ロ)(ハ)(ニ))では右56.7〜61.7dB、左56.7〜61.7dB、関西労災病院((ホ)(ヘ)(ト))では右65.8〜68.3dB、左63.3〜65.0dBとなっている。また、聴力像を見ると、神戸労災病院の(ロ)(ハ)(ニ)のオージオグラム三枚は高音漸傾型を示しているが、関西労災病院の(ホ)(ヘ)(ト)のオージオグラム三枚では、神戸労災病院の検査時から半年も経過していないのに、気導・骨導差が明らかに現れており、この間に聴力損失値が全音域にわたり一〇dB前後低下している。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所((イ))では左右とも七五%(八〇dB)、神戸労災病院((ロ)(ハ))ではいずれも右七五%(八〇dB)、左六五%(八〇dB)、八〇%(九〇dB)、関西労災病院((ホ)(ヘ)(ト))では右六〇〜七〇%、左五〇〜六〇%(以上七〇〜九〇dB)となっている。

4 亡西の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「(ロ)(ハ)(ニ)のデーターを見る限り、騒音性難聴とみても矛盾はないが、(ホ)(ヘ)(ト)では短期間で伝音難聴要素のみが急に出現しているので、この間に伝音難聴を生じる要因が加わったとみる以外には理解し難い。後者は、被検査者が労災認定の基準に該当するよう意識的あるいは無意識的に応答した結果によるものではないかと疑わざるを得ない。」旨述べており、当審証人岡本途也は、騒音性難聴を否定できないとして、ほぼ同旨の証言をし、(ロ)(ハ)(ニ)の聴力像は前記ガス爆発によって形成された災害性難聴とみても支障はないと付言している。

三因果関係

前記認定のとおり、亡西の聴力像は、神戸労災病院のオージオグラムを見る限り騒音性難聴と見ても矛盾はないものの、同人が昭和四一年一月一四日、目の前でガス爆発事故に遭い、その直後聴力低下を来し、通院治療したが回復せず、昭和四二年災害性難聴(急性音響性外傷)として労災認定を受けている事実に照らすと、同人の聴力障害は右ガス爆発事故によって生じた災害性難聴である疑いがきわめて強い。

右の点に加えて、亡西の一審被告神戸造船所における就労は、昭和三八、九年ころから四、五年間と、昭和四五年一一月から四年間余りであるが、他の一審原告らと比べて短期間であるうえ、時期的にも遅く、工法の改善により全体的には騒音の減少がかなり進んだ時期であって、騒音の影響は相対的に少なかったと思われること、同人の聴力は、右ガス爆発事故以前の同被告職場における騒音作業によって低下した疑いもあるけれども、その就労期間はせいぜい二年位にすぎず、また、右聴力が前記爆発事故以後の騒音作業によって一層低下した疑いもないではないが、右のように認定すべき証拠も存しないことなどを総合して考えると、亡西の聴力損失値と一審被告神戸造船所構内の騒音被曝との間の相当因果関係は認め難いというべきである。

四時効

亡西は、昭和四一年一月一四日の前記ガス爆発事故についても一審被告の責任を問うかのようであるが、仮に同被告に何らかの責任があるとしても、聴力障害が確定し、同人にその認識がある右事故の日から起算して、本訴提起の日であることが記録上明らかな昭和五三年八月三日までに、不法行為、債務不履行のいずれについても時効期間が満了しており、同被告は右時効を援用しているから、亡西の損害賠償請求権は時効により消滅したものというべきである。

五結語

以上の次第により、承継前一審原告亡西の訴訟承継人である一審原告萩原邦央の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔20〕(二−六)承継前一審原告亡加川留吉

一訴訟要件について

原判決七八三枚目表末行〈前同一三四頁第三段五行目〉から同裏一二行目〈前同頁同段二七行目〉までを引用する。

したがって、一審被告の右本案前の抗弁は理由がない。

二経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

明治四二年一〇月二日出生

①昭和六年ころまで

興業師(家業)の手伝い、酒屋の店員、鍛冶屋

②昭和七年〜同一二年

大阪鈴木鉄工所

③昭和一三年〜同一五年

大阪汽車製造(株)

④昭和一五年〜同一八年

神戸製鋼所

⑤その後(昭和一八年六月〜同一九年八月までのある期間)

神戸刑務所構外作業三菱神戸造船隊(一審被告神戸造船所構内)

⑥昭和一九年八月〜同四〇年一二月三一日

一審被告本工(右同)

⑦昭和四二年六月〜同五〇年九月

山陽工業(右同)

昭和五四年四月三日死亡

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 亡加川は、小学校を卒業後昭和六年ころまで家業の興業師の手伝い、酒屋の店員、鍛冶屋の仕事をしたが、その間とくに騒音に曝されたことを認める証拠はない。

(二) 亡加川は、②③④の各期間、前記のとおり大阪鈴木鉄工所ほか二箇所に勤務したが、その間における具体的な騒音被曝状況は証拠上明らかでない。ただ、鉄道車両の騒音につき約七二〜一二〇ホン、製鋼所の騒音につき約八三〜一二六ホンという測定結果があり、これから推して、同人は右期間、ある程度の騒音職場にあったものと窺われる。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡加川は、⑤の期間、神戸刑務所構外作業三菱神戸造船隊員として一審被告神戸造船所構内に派遣され、L型クレーン下等での地上組立で、単純なネジ締め等の作業に従事したものと窺われる。

(二) 亡加川は、昭和一九年八月一審被告に入社し、以後同三二年一一月まで、取付工としてL型クレーン下、船台で取付作業に従事した。とくに戦時中は残業も多かった。

船台では、主として仮付(溶接)、ガス切断作業に当たったが、当初はまだ鉸鋲や溶接に伴うハツリの作業も行われ、その騒音は著しかったものと思われる。しかし、その後、造船工法が鉸鋲から次第に溶接に変化していき、騒音も軽減された。

(三) 亡加川は、昭和三二年一一月二二日船台から転落して足を骨折する事故に遭い、昭和三三年五月末まで入院療養した。その後約一〇か月間、造船工務課へ応援に行き用役工の仕事を手伝っていたが、現場への復帰が無理であったため、本人の希望により、昭和三四年四月正式に用役工となった。

亡加川は、用役工として、造船工作部中央更衣所兼食堂の掃除、同所の盗難防止のための見張り(ハウス番)、食堂の配膳、夜勤者用仮眠所の床の整理などの雑役を担当した。右中央更衣所等は、四方とも通路に面する独立した三階建ての建屋で、職場自体に騒音はなく、周辺工場、とくに東隣にある鉄構工作工場ではハンマー打ち、ガス切断、クレーンの運転による騒音があり、これらと無縁ではなかったものの、右騒音による影響は少なかったものと窺われる。

(四) 亡加川は、⑦の期間、一審被告の下請会社である山陽工業に雇用され、同被告神戸造船所造船工作部溶接指導係教習所で、養成工向きの溶接練習材を作るためIKを用いてガス切断作業に従事した。同所では電気溶接、ガス切断の実習が行われており、電気溶接機約七〇台、ガス切断機約二〇台が据付けられ、換気用の集じん機も設置されていた。

ガス切断作業における騒音としては、ガスの噴射音があるが、大して大きなものではなかった。実習生がエアグラインダーを使う場合は、かなり騒音がするので、屋外でさせていた。

右教習所は耳栓装着場所に指定され、養成工にはしつけのため耳栓装着の指導が徹底していた。もっとも、亡加川の作業場所は、右教習所の南端で、実習場所より少し離れていた。

ちなみに、総論でも認定したとおり、電気溶接は八五〜九〇ホン、ガス(切断)加熱九〇〜一〇〇ホン、集じん機(一〇馬力)一〇五〜一一〇ホンとの測定結果が示されている。

4 耳栓の支給・装着状況等

亡加川は、一審被告の本工時代、耳栓の支給を受け、これを装着したが、不便のため外して作業したこともあった。耳栓支給の具体的日時は詳らかでない。

なお、同人は、一審被告在職中、聴力検査を二回受けたようである。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡加川は、昭和三〇年ころ(四六、七歳ころ)から耳鳴りを覚え、定年(六五歳)の少し前から聴力低下を意識するようになった。

2 亡加川は、昭和五三年三月三日(六八歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右五六dB、左五八dB、語音最高明瞭度が右六八%、左七五%であり、障害等級は、障害等級表における九級の六の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することができない程度になったもの)である。

3 亡加川の聴力については、(イ)昭和五二年九月一三日(六七歳)西診療所、(ロ)同年一二月二日(六八歳)、(ハ)同五三年一月一八日(同)、(ニ)同年二月九日(同)、以上関西労災病院でなされた各検査結果(オージオグラム四枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所((イ))では右55.0dB、左57.5dB、関西労災病院((ロ)(ハ)(ニ))では右52.5〜61.7dB、左50.8〜65.0dBとなっており、聴力像をみると、全般的に、低音域に比し、高音域がさしたる低下を示しておらず、前後でみると、全体に微妙な変化が見られ、一部良くなっている部分もあり、最後のものは気導・骨導差の逆転さえ起きている。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所では右九〇%(九〇dB)、左八五%(八〇dB)、関西労災病院では(ロ)右四〇%、左五五%(以上九〇dB)、(ハ)右九〇%、左六五%(以上一〇〇dB)、(ニ)左右とも七五%(八〇dB)となっている。西診療所の明瞭度は、一〇〇〇Hz五〇〜五五dBの聴力損失に対して値が良すぎ、関西労災病院のものも、最初は大幅に低下した後、(ハ)では右耳が急に良くなり、純音の聴力は左の方が良いのに、明瞭度では右の方がはるかに良い。

4 亡加川の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「当該オージオグラムは、騒音性難聴が進展した形とみても、低音域の損失値に比較して高音域の聴力低下が少ないこと、とくに(ニ)のように気導聴力の方が骨導聴力より良いことは騒音性難聴としてはあり得ず、聴力測定に疑問がある。(イ)の明瞭度は良すぎて騒音性難聴でも感音難聴でもまずあり得ず、(ハ)でも理解し難い値を示している。以上のとおり、個々のデータでも騒音性難聴とみるには疑問があるし、さらに全体的にみると、この聴力像はまことに不可解というほかない。」と述べており、当審証人岡本途也も、右と同旨の証言をしている。

四因果関係

以上の認定事実によると、亡加川の聴力像は、個々のデーターでも騒音性難聴の特徴とかけ離れており、さらに全体的にみても不可解な結果を示しているなど、騒音性難聴とみるには極めて疑問が多い。同人は、通算三〇年余り一審被告神戸造船所構内で就労し、中でも戦時中の昭和一九年八月から約一三年余りはL型クレーン下や船台の騒音職場で取付作業に従事し、相当の騒音に曝されたことは明らかであるが、同人の聴力障害が騒音性難聴とは認めがたい以上、同人が同造船所の騒音によって騒音性難聴になったものと認めることは困難である。

五結語

そうすると、承継前一審原告亡加川の訴訟承継人一審原告米田勝博の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔21〕(二−七)承継前一審原告亡渡はま

一承継前一審原告亡渡はまの相続について

原判決七八七枚目裏八行目〈前同一三五頁第四段五行目〉から同七八八枚目表九行目〈前同一三六頁第一段一行目〉までを引用する。

したがって、一審被告の右の点についての主張は失当といわざるを得ない。

二亡利男の経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡利男の経歴

大正五年九月二五日出生

①昭和四年ころ〜同一六年ころ

法律事務所や郵便局勤務

②昭和一六年六月〜同二三年末ころ

兵役(陸軍騎兵)

③昭和二四年一月〜同五〇年一〇月

一審被告本工(昭和四七年五月以降雇用延長、嘱託)(一審被告神戸造船所構内)

④その後

アルバイト(ライターの石の不良品のチェック)

昭和五二年一一月二日死亡

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 亡利男は、①の期間、法律事務所や郵便局に勤務したが、騒音に曝されたことはなかった。

(二) 亡利男は、②の期間、満州に出兵し、次いでシベリアに抑留されたが、同人の妻承継前一審原告亡はまは、亡利男から、同人が森林の伐採をしていたと聞き、実戦へ参加したとの話は聞いていないものの、この期間における亡利男の生活状況は明らかでない。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 亡利男は、一審被告入社後、昭和二四年一月ころから同二九年ころまで鋳造工場、合金場のA棟、B棟で、主としてグラインダーを用いて銅合金の製品作業(仕上作業)に従事し、その後昭和二九年ころから合金場C棟で銅合金の溶解作業に従事した。

(二) 亡利男は、昭和三〇年一二月一七日合金の溶解作業中、両大腿部に火傷を負い、四八日間休業した後、同三一年一月クレーンマンに職種替えとなり、昭和四六年三月ころまでは、主として合金場B棟の合金型場、合金溶解用の天井クレーン(一〇トン)の運転に従事し、次いで同年三月以降は、建屋建替えのため鋳鋼場G棟に移り、昭和五〇年一〇月退職するまで同棟でクレーンマンとして勤務した。

亡利男は、主に型場の型合わせのほか、鉄材を溶かした湯の搬送、製品の台車への搭載をするためのクレーン運転に携わった。クレーンは、走行時それなりの騒音があるが、右型合わせ等のための操作は作業の性質上、また安全上、徐々にあるいは緩やかに行うので、通常の場合と比べてそれ程大きな音はしなかった。

右工場では、他にアーク炉、シェーカー等が騒音を発し、それはクレーンの走行音よりも大分やかましかったが、クレーン下からクレーンマンへの合図は掛け声で行われていた。

4 耳栓の支給・装着状況

クレーンマンは、昭和四〇年ころ耳栓の支給を受けたが、亡利男もそのころ耳栓の支給をうけ、これを使用していたものと思われる。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 亡はまは、亡利男の聴力について、徐々に悪くなっていったが、昭和四〇年ころ(四九歳ころ)亡利男から聴力検査で聴力低下があったと聞いており、同四七年ころ(五六歳ころ)には亡利男が会話の際耳に手を当てて二、三回聞き直すなど相当悪かったと認識している。また、亡利男の同僚の中には、亡利男が一審被告に入社した時にはすでに耳が遠かったという者や、昭和三〇年一月(三八歳)クレーマンに職種替えしてきた当初からかなり耳が遠かったと指摘するクレーンマンもいる。

2 亡利男は、昭和五二年一一月四日神戸労災病院により「血液検査、レ線検査、鼓膜所見に異常を認めず、高音急墜型感音難聴像を呈し、職業性と考える。」と診断された。

3 亡利男は、昭和五二年一一月八日(六一歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右四四dB、左四六dB(但し、オージオグラムの各聴力損失値により計算すると51.7dBとなる。)、語音最高明瞭度が左右とも各八〇%であり、障害等級は障害等級表における一〇級の三の二(両耳の聴力が一メートル以上の距離では普通の話声を解することが困難である程度になったもの)である。

4 亡利男の聴力については、(イ)昭和五二年八月二日(六〇歳)西診療所、(ロ)同年一〇月二六日(六一歳)神戸労災病院で受けた各検査結果(オージオグラム一枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、(イ)では右45.8dB、左47.5dB、(ロ)では右44.2dB、左51.7dBとなっている。次に、聴力像を見ると、(イ)では一〇〇〇Hzに気導・骨導差があり、二〇〇〇Hzの方が四〇〇〇Hzよりも聴力低下が著しい。また、(ロ)では二五〇Hz以下、八〇〇〇Hzの測定値がなく、骨導聴力検査結果はないが、二〇〇〇Hzと四〇〇〇Hzの聴力がほぼ同程度となっている。

他方、語音最高明瞭度は、(イ)では一〇〇〇Hzの純音損失が四〇〜四五dB程度あるのに、右九五%、左九〇%(以上六〇dB)と極めて良好であり、また、(ロ)でも左右とも八〇%(右七〇dB、左八五dB)と良好な値になっている。

5 亡利男の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「オージオグラムは、二〇〇〇Hzが四〇〇〇Hzより聴力が低下していたり、その間にほとんど域値差がないなど、騒音性難聴のものとはいい難く、明瞭度も良すぎて、騒音性難聴ではまずあり得ない。結局、騒音性難聴ではないと考える。」と述べており、当審証人岡本途也も、同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実によると、亡利男の聴力像は、一部に気導・骨導差があり、二〇〇〇Hzと四〇〇〇Hzとの間にほとんど域値差がなく、しかも明瞭度が良好であることなどからみて、騒音性難聴とみるには疑問がある。

亡利男は、一審被告本工として昭和二四年一月から二六年余り同被告神戸造船所構内で就労し、その間銅合金の仕上作業あるいはクレーン運転の作業等に携わり、騒音に曝されたものと認められるけれども、同人は遅くとも昭和三〇年以前にすでにかなり耳が遠くなっていたというにとどまらず、同被告神戸造船所に就労した当時から聴力に異常があった疑いがあること、そして右就労前の七年を超える兵役期間中の同人の生活、騒音被曝等の状況が明らかでないことなどの点と前記の疑問を考えると、同人の聴力障害が騒音性難聴であって、同被告神戸造船所構内における騒音被曝によるものと認めるのは困難である。

五結語

以上の次第により、承継前一審原告亡渡はまの訴訟承継人一審原告渡恵子の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がないといわなければならない。

〔22〕(二−八)一審原告太田一郎

一経歴及び騒音被曝状況等

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、前掲各証拠のうち右認定に反する部分は措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 経歴

大正四年一二月五日出生

①昭和五年四月〜同一一年一二月

清原化学工場

②昭和一二年一月〜同二〇年九月

兵役(呉海兵団)

③昭和二一年三月〜同四九年四月

一審被告本工(昭和四六年一一月以降雇用延長)(同被告神戸造船所構内)

2 一審被告神戸造船所入構以前の騒音被曝状況

(一) 一審原告太田は、①の期間、清原化学工場でゴムの原料を溶かす仕事に携わったが、騒音に曝されたことはなかった。

(二) 同原告は、昭和一二年一月呉海兵団に入団し、巡洋艦「三隈」に乗り組み、甲板掃除等をし、昭和一五年一〇月上海海軍特別陸戦隊付を命じられ、実戦に参加したが、小銃を散発的に撃った程度である。他に約八年間の兵役期間中における同原告の騒音被曝状況を具体的に認める証拠はない。

(三) 同原告は、海軍でビンタを受けたことがあり、昭和三〇年代の中ころの暮に一審被告の数名の同僚に対しても「自分の耳が遠いのは、海軍でビンタを打たれたからや。素手で叩くという生易しいものとは違い、スリッパその他手に持っているもので叩くんや。」という趣旨のことを語ったことがある。

(四) 同原告は、「熱帯熱マラリア」にかかり、昭和一八年二月から約三か月間第八海軍病院等に入院した。

3 一審被告神戸造船所における作業歴及び騒音被曝状況等

(一) 一審原告太田は、③の約二〇年間、一審被告本工として、一貫して第一審被告神戸造船所の略称「二機」(入社時の名称造機部第二機械工場、その後組織改変により名称が数次にわたって変更された。)で就労した。

二機工場は、戦後しばらくは民間需要用の各種産業機械(精麦機・ロードローラー・木工機械等)の製作に取り組み、昭和二五、六年ころから主として舶用・車両用・定置用の中・小型ディーゼルエンジンの製造を担当してきたが、昭和四七年六月限りでその製造が中止され、その後は原子力機器の製作に移行した。同工場は、大まかに分けて、機械場、仕上場、組立場及び試運転場の三職場から構成されていた。

(二) 同原告は、昭和二一年三月から同三四、五年ころまで二機工場のA棟、B棟を中心に、仕上工として、バイス台・仕上げ定盤・組立場等で、片手ハンマー・タガネ・ヤスリ・キサゲ(シカラップ)等を用いて、ディーゼルエンジンの部品の仕上・組立(中間工程)作業に従事した。昭和二〇年代の終わりころまではまれにニューマチックハンマーを用いて鋳物部品の余肉のハツリ作業も行った。なお、毎月かなりの残業があった。

ハンマー使用による仕上・組立作業の騒音は金属性のかなり大きなもので、複数の従業員が作業するため間断なく続いた。もっとも、昭和二〇年代の終りころには二機の職場でニューマチックハンマー等による手作業の廃止運動が起こり、鋳造工場に対し手作業をしなくて済むように鋳物の精度を向上するよう申し入れがなされ、そのころから右工具によるハツリ作業はなくなった。

さらにディーゼルエンジンの組立完了後は、圧縮空気を用いての各部分の清掃、あるいは試運転等による騒音もあり、そのうち試運転は同じ建屋内で、月に一ないし三回、丸一日ないし三日間昼夜連続して行われるため、近くで作業する同原告にとってその騒音は強烈なものであった。とくにマイバッハエンジンは、非常に軽量で、小型の割には高速回転、高馬力のため音が大きく、そのため昭和三七年七月ころ特殊防音装置付のマイバッハエンジン試運転場が新築され、他から完全に隔離されたが、右建物は同四七年八月には撤去されている。

(三) 同原告は、昭和三四、五年ころクレーンマンに変わり、以後同四九年四月まで二機工場のA棟、B棟等で玉掛や天井クレーンの運転作業に従事したが、昭和四三年に伍長になってからは、人手のないときに自らクレーンを運転することがあるだけで、もっぱら運搬作業全般の取りまとめ等をした。

当時、クレーンマンへの合図は、玉掛工からは笛を使い、一般の作業者からは挙手や掛け声で行っていたが、地上での作業音は、クレーンの走行音よりもやかましく、上の方に反響していた。

(四) なお、昭和三五年ころから同四〇年過ぎまで二機工場建屋内の通路の改修工事が行われ、コンクリートブレーカーによる騒音がしていた。

4 耳栓の支給・装着状況

同原告は、昭和三五、六年ころ耳栓の支給を受け、これを使用するようになったが、それ以前は綿や紙を耳に詰めたりしていた。

二聴力障害の状況

〈証拠〉によれば、次の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1 一審原告太田は、昭和三二、三年ころ(四二、三歳ころ)右耳の耳鳴りが始まり、二、三日間聞こえないことがあり、そのころから約一年間三菱神戸病院に通院した。その原因につき、同病院から鼓膜が何かの衝撃で曲がった旨言われたが、同原告は、右耳がエンジンに向いていたため、試運転前の圧縮空気の騒音による影響を受けたのではないかと思っている。同原告は、その後三菱神戸病院から転医先として大阪の病院を紹介されたが、私病扱いにされたため同病院へ転医することは諦めた。同原告は、昭和三〇年前後ころ(四〇歳ころ)同僚から耳が遠いと感じられており、同三四、五年ころ(四四、五歳ころ)には同僚や妻から難聴を指摘された。

同原告は、右耳は昭和四五年ころ(五五歳ころ)からほとんど聞こえなくなり、左耳もいつごろからか余りはっきり聞こえなくなったと述べている。

2 同原告は、昭和五三年八月二日神戸労災病院により、「レ線検査、血液検査、鼓膜所見に異常なく、騒音によるものと考えられる。」と診断された。

3 同原告は、昭和五三年三月八日(六二歳)騒音性難聴により労災認定を受けた。認定された聴力障害は、平均純音聴力損失値が右六八dB、左二八dB、語音最高明瞭度が右六〇%、左九五%であり、障害等級(旧基準)は、旧障害等級表における一一級の四(鼓膜の中等度の欠損その他により一耳の聴力が四〇センチメートル以上では尋常の話声を解することができない程度になったもの)である。

4 同原告の聴力については、(イ)昭和五二年六月二〇日(六一歳)西診療所、(ロ)同年七月二六日(同)、(ハ)同年八月三日(同)、(ニ)同年九月一二日(同)、(ホ)同年一二月二〇日(六二歳)、(ヘ)同五三年二月二二日(同)、以上神戸労災病院で受けた各検査結果(オージオグラム六枚)が存在する。

その平均純音聴力損失値は、西診療所((イ))では右72.5dB、左28.3dB、神戸労災病院((ロ)〜(ヘ))では右67.5〜77.5dB、左27.5〜30.8dBとなっている。次に聴力像を見ると、右耳は全音域にわたって聴力がほぼ七〇dB以上低下しており著しく低いが、左耳は二〇〇〇Hz以下はほぼ正常で四〇〇〇、八〇〇〇Hzのみ急墜した形になっている。また、右耳において特に気導・骨導差があり、骨導聴力より気導聴力が相当低い数値になっている。

一方、語音最高明瞭度は、西診療所では右七〇%(九〇dB)、左八〇%(五〇dB)、神戸労災病院では(ロ)右六〇%(九〇dB)、左九五%(五〇dB)、(ヘ)右六〇%(九〇dB)、左九五%(五〇dB)となっている。

5 同原告の症例につき、岡本途也・志多亨作成の意見書は、「左右のパターンで全く異なっており、しかも、聴力低下のレベルも左右で格段の差があることから、明らかに騒音性難聴ではないと考える。左耳は、気導聴力のパターンが一見高音急墜型で騒音性難聴の聴力像に類似しているが、骨導聴力が気導聴力より悪いという、全く不可解な成績が示されており((ヘ)のデーターでは一応解消されている。)、右耳は、パターンからみても、気導・骨導差があることから見ても、明らかに騒音性難聴の聴力像とは異なる。以上のとおり、左耳のみは極く軽度の騒音性難聴と解釈することもできるが、右耳の状況からして、左耳の聴力像も騒音以外の他の原因による可能性が高い。」旨述べており、当審証人岡本途也も同旨の証言をしている。

三因果関係

前記認定事実のとおり、一審原告太田の聴力像は、左右でパターンが全く異なっており、しかも、聴力低下のレベルも左右で格段の差があることから判断して、騒音性難聴であるとは認め難い。

同原告は、一審被告本工として昭和二一年三月から二八年余り同被告神戸造船所で稼働し、そのうち前半約一二年間は二機工場で仕上作業に従事し、相当の騒音に曝されたことが認められるけれども、一方、同被告は同神戸造船所に入構する以前に海軍で「ビンタ」を受けたことがあり、同僚に対して自分の耳が遠いのはそのときの「ビンタ」によるものであることを具体的状況を交えて語っていること、「ビンタ」は内耳出血や内耳震盪を引き起こし、聴力障害の原因になる可能性のあることが一般的に認められていることなどの事実に照らすと、同原告の聴力障害については騒音性難聴以外の他の要因である疑いをぬぐい難い。

一審原告太田は、同原告の左右差について、騒音が片方の耳に強く曝露される場合には左右差が生ずるから騒音性難聴を否定する根拠とはならないとし、同原告の右耳が特に悪いのは手持ちハンマーを右手に持つためか、右耳をエンジンの方に向けて作業していたことが原因と考えられる旨主張するが、騒音性難聴の場合は、通常両側性であり、左右差がなく対称のオージオグラムを示す症例が71.8%にも達する(甲第一四一号証)ことからすると、一審被告神戸造船所構内の作業によって右のような聴力像の左右差を生じたとするには、それなりの特別の理由が必要であるところ、同原告の聴力障害はエンジンの試運転時に右耳をエンジンの方に向けていたからである旨の供述は原審証人横山武雄の証言に照らしてにわかに措信し難く、他に同原告について右特別の理由の存在を認めるに足りる資料はないから、一審原告の右主張は合理性に乏しいと考えられる。

以上を考え合わせると、同原告の聴力障害が一審被告神戸造船所構内の騒音被曝によって生じた騒音性難聴であると認めることは困難である。

もっとも、左耳については、軽度の騒音性難聴とみる余地が全くないわけではなく、仮にそのようにみるのが相当であるとしても、一耳の聴力損失値二八dBは、障害等級表における一四級の基準にも満たないものであり、しかも同原告が労災認定を受けた年齢(六二歳)からみて加齢要素も否定し難く、同原告に賠償を要する損害を生じたとは認め難い。

四結語

以上の次第により、一審原告太田の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく、理由がないものといわなければならない。

第三章結論

そうすると、一審被告は、一審原告齋木に対し金一六五万円、同藤本に対し金一三二万円、同田中及び同佐々木に対し各金八八万円、同横矢に対し金一一〇万円、同高橋に対し金五五万円、同松田に対し金二二〇万円、同井村に対し金一一〇万円、同西垣に対し金一三二万円、同田野に対し金一一〇万円、同南に対し金一六五万円、同前田に対し金一三二万円及びこれらに対する右一審原告齋木から同田野までの一審原告らについては訴状送達後の昭和五二年一一月二三日から、一審原告南、同前田については右同様昭和五三年八月一五日から各完済まで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、右一審原告らの請求は右限度において正当として認容し、その余の部分及び右一審原告らを除くその余の一審原告らの請求は失当であるからいずれも棄却すべきであり、一審原告藤本、同松田の控訴は一部理由があるから原判決を変更し、その余の一審原告らの控訴は理由がないからこれを棄却し、一審被告の控訴は、一審原告山下、同中野、同久川、同米田、同渡に関し理由があるから原判決中右一審原告らに関する一審被告敗訴部分を取り消してその請求を棄却し、一審原告田中、同横矢、同高橋、同井村、同西垣、同南に関し一部理由があるから原判決中右一審原告らに関する部分を変更し、その余の一審原告らに関しては理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九六条、八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を適用し、右仮執行の免脱宣言は相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石川恭 裁判官大石貢二 裁判官竹原俊一)

別紙請求金額の表示〈省略〉

別紙相続一覧表〈省略〉

別紙用語訂正表〈省略〉

別表一

労災補償等受給状況一覧表

(昭和62年11月30日現在)(単位 円)

一審原告

障害補償

一時金額

障害補償

年金

障害特別

支給金額

障害特別

(ボーナス)

一時金額

障害特別

(ボーナス)

年金額

小計

会社上積

補償金

合計

番号

氏名

1-1

斉木福右衛門

1,054,282

260,000

1,314,282

1,314,282

1-2

山下数男

768,012

190,000

958,012

958,012

1-3

村上忠義

1,670,362

260,000

1,930,362

1,930,362

1-4

藤本忠美

1,368,966

260,000

1,628,966

1,628,966

1-5

田中太重

1,696,158

330,000

2,026,158

2,026,158

1-6

佐々木次郎

1,157,566

260,000

1,417,566

1,417,566

1-7

中野真一

1,437,707

330,000

1,767,707

1,767,707

1-8

横矢役太

0

0

0

1-9

図師一雄

0

0

0

1-11

高橋一雄

6,498,320

530,000

1,047,346

8,075,666

8,075,666

1-12

松田次郎作

1,542,495

330,000

1,872,495

550,000

2,422,495

1-13

井村正一

899,136

190,000

1,089,136

300,000

1,389,136

1-14

西垣 兀

1,306,150

260,000

1,566,150

400,000

1,966,150

1-15

田野米三郎

1,449,437

330,000

1,779,437

1,779,437

2-1

南 日輝

10,542,019

530,000

1,729,397

12,801,416

1,170,000

13,971,416

2-2

森  清

0

0

0

2-3

久川今次

3,844,622

530,000

577,733

4,952,355

4,952,355

2-4

前田利次

1,232,462

260,000

1,492,462

1,492,462

2-5

西  優

8,098,803

530,000

1,216,965

9,845,768

9,845,768

2-6

加川留吉

1,030,285

330,000

1,360,285

1,360,285

2-7

渡 利男

1,308,566

260,000

1,568,566

400,000

1,968,566

2-8

太田一郎

1,017,400

190,000

1,207,400

180,000

1,387,400

本表は,乙第190号証,乙第192号証の1~6及び乙第199号証に基づき,一審被告が作成したものである。

障害補償年金及び障害特別年金については,支給率の改定に応じスライドさせて算出した。

別表二

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別表三

一種耳栓とピースキーパーに対する労働者の反応比較

反応

一種耳栓

ピースキーパー

1.

防音保護具の効果の評価

人 (%)

人 (%)

低周波騒音の減衰

26(78.8)a)

32(97.0)a)

高周波騒音の減衰

20(60.0)

24(72.7)

会話域騒音の減衰

25(75.8)

28(84.8)

2.

防音保護具装用時の感覚

耳管の密閉感

11(33.3)

10(30.3)

圧迫感

7(21.2)

15(45.5)

搏動性

6(18.2)

12(36.4)

耳鳴り

2(6.1)

3(9.1)

ゆるんだ際の痛み

12(36.4)

9(27.3)

かゆみ

7(21.2)

9(27.3)

発汗

5(15.2)

23(69.7)

頭痛

2(6.1)

2(6.1)

めまい

0(0)

0(0)

3.

愁訴

挿入・取りはずし困難

2(6.1)a)

19(57.6)a)

警報聴取困難

12(36.4)

22(66.7)

機械音聴取困難

4(12.1)

11(33.3)

会話の制限

0(10.2)

17(51.5)

平衡感喪失

0(0)

1(3.0)

不安感・危険感

0(0)

1(3.0)

取りはずし後の耳鳴り

1(3.0)

1(3.0)

取りはずし後のめまい

0(0)

0(0)

高温時の極端な不快感

8(24.2)

14(42.4)

33(100.0)

33(100.0)

a)6ヶ月使用後の明確な反応数

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